わからない わかったつもり よりましか
私たちは、わかっているつもりでも、実は、わかっていないことが多い。
わかっているつもりのことを、わかっていないという状況が、一番危険である。
自分は経験豊富だと思っている人ほど危険である。早飲み込みしやすいからである。
世の中は、私たちが思っているよりも遙かに速いスピードで移り変わっている。
情報の増加も急激だ。自分が持っている情報が十分だと思っている人ほど危険である。
若い人たちは、日々膨大な情報に晒されることになれている。
膨大な情報を入り口で取捨選択して、ムダな情報を捨てることが上手い。
それは、通り過ぎる情報を理解していないということではない。
そこそこ理解した上で、ストックする情報とフロー(スルーではない)情報を
瞬時に峻別しているのだ、
若くない人たちが気をつけなければならない状況は、通り過ぎる情報が
見えてすらいない状況だ(見えてすらいないのだから、気をつけようが
ないとも言える)。謙虚になって、新しい情報をキャッチできるようになろう。
ストックした情報と照らし合わせて解釈できれば、若い人たちよりも
優位に立てる可能性がないわけではない。
- ――認識の脳科学 (ちくま新書)
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思考の単位は、記憶心像である。記憶心像の整理には、言葉が重要な働きをしている。相手の言葉を理解するには、社会共通の言葉の意味を知っておく必要がある。
意味の記憶は、何度も繰り返し経験することで少しずつつくり上げていく記憶である。繰り返すと同じ神経回路が活動する。同じ神経回路が興奮すると、その回路を作っている神経細胞と神経細胞との繋がりはだんだん強固になり、一回だけの記憶だと忘れてしまうことでも、忘れにくくなる。
知能とは、常に変化し続ける状況合わせ、その時にもっとも適切な行動を選び取る能力である。ある状況に最適な行動を起こすには、複数のプランが必要である。前頭前野は、複数の行動プランを同時に想起して、その中からその時の状況にもっとも適切なプランを選択し、それを実行するという役割を担っている。
われわれの心の動きに重要なのは心像(心に思い浮かべることのできるすべての現象)であって、客観的事実ではない。心像を扱うのが普通の心の動きで、客観的事実は心にとってあってなきがごときものなのだ。われわれの心は心像しか扱えないのだ。
わが家の縞ちゃんは、言葉を持たないので、記憶心像を整理することができないはずだが、彼女はどのようにして最適な行動を撰んでいるのだろう?逆に私たち人間は、目で観た世界をいちいち言葉に変換して理解している。
そして、言葉を繰り返す程、神経細胞の繋がりが強化されるということは、思考や考えたことを書いて整理することを繰り返す人ほど、複数のプランを立案し、その中から最適な行動を選び出す力があるということだ。このような駄文を記述することも、記憶心像の整理に役だっていると信じたいものだ。