ブッダに学び、解脱を目指す。

「ディフェンスラインを上げろ!」というタイトルから、「ブッダに学び、解脱を目指す。」というタイトルに変更しました。私の関心が、仕事から人生へと変わったからです。とは言っても、このブログのテーマは、仏教ではありません。自分が幸せになるために、他の人たちにも幸せになっていただくために、釈尊に始まる仏教の智慧、哲学のアプローチ、心理学の知識を学び、活用していきたいと思います。

翔太と猫のインサイトの夏休み


 「この本は中学生・高校生向きの哲学の本です。」とのことですが、既にオジサンになってしまった私にとっても、とても難しい理解しにくい内容です。本書は1995年12月25日に刊行されたとのことですが、後の1997年7月に刊行された「子供のための哲学対話」の方が、ずっと分かりやすい内容にです。


 この違いは、対象としている年齢の違いにもよりますが、翔太~の方が、読者自身が読者自身の疑問を読者自身で考えることを促しているのに対し、子供の~の方は、永井均さんなりの答えを明記しているという違いによるものだと思います。


 つまり、哲学的な問いは、その問いそのものの意味を共有することが難しいので、そこに何らかの答えが書かれていることで、ようやく問いの意味を共有するということが、できるからなのだと思います。

はじめにより

 哲学に関する予備知識などはまったく不要です。よくわからないところにあまりこだわる必要はありません。むしろ、自分にとってよくわかる問題を考えぬいてみてください。哲学に関しては、色々な学説を知るよりも、ひとつの問題を考えぬく方が遥かに大切です。


 哲学に限らず、自分の中に芽生えた疑問について、考えぬくという姿勢は、とても大切なのではないかと思います。何故ならば、他人の欲望を模倣するために奔走しても、決して幸せになれないような気がするからです。


 自分の中に芽生えた疑問は、往々にして哲学的な難問であり、私たちは、答えの出ない問題を前にして立ちすくみ、考えぬくことを放棄してしまいがちです。しかし、その難問を考える苦しみの中に、私たちが、自分の生をかける価値のあるテーマが隠されているのだと思うのです。

巻末の中島義道氏による解説 正確で清潔な言葉より


「哲学」とは、徹底的に思索し、厳密な言葉で語り続けるという積極的な営みなのであり、永井さんが本書で提案しているのはこのことだ。そして、これこそ多数の共感を呼ばず、永遠の負け戦であり、だから私にはとても潔く見えるのだ。


 この書の「はじめに」は次の文章で終わっている。哲学とは人生と世界に関する深い真理を教えてくれるものだ、というのも嘘ではないのですが、その真理に触れることができるのは、この遊び場でクタクタになるほど遊びほうけた後のことなのです。

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