<子ども>のための哲学
>人間は結局、自分のやりたいことしかやらない。いや、自分のやりたいことしかやれない、と言ってもいい。いやいやながらそうする、という場合だって、与えられたその状況で出来ることの中では、一番やりたいことをやっているはずだ。
永井均さんは『子供のための哲学対話』で、人間はなんのために生きているのか?という問いに「遊ぶためさ」と言いきっている。また「根が明るい人は、なにか目標のために努力しているときも、なぜかいつもそのこと自体が楽しい人で、根が暗い人は、何か意味のあることをしたり、ほかの誰かに認めてもらわなくては、満たされない人」とも書いている。
人間は何のために生きているのか?と言う問いは、気が付いたらこの世に送り出されていた、私たち一人一人の人間にとって、極めて難しい問いだと思うが、私は、これらの言葉を時々思い出しながら生きて行きたい。
哲学する人と哲学しない人の違いとは、哲学する人は、自分自身の中で疑問を追い続ける人(根が明るい人、目標のために努力していること自体を楽しめる人)で、哲学しない人は、人に認められることを追求する人(根が暗い人で、何か意味のあることをしようとする人)の違いなのではないでしょうか?もちろん、誰もがその間にいて、どの辺にいるのかが問題なのだと思いますが…