ブッダに学び、解脱を目指す。

「ディフェンスラインを上げろ!」というタイトルから、「ブッダに学び、解脱を目指す。」というタイトルに変更しました。私の関心が、仕事から人生へと変わったからです。とは言っても、このブログのテーマは、仏教ではありません。自分が幸せになるために、他の人たちにも幸せになっていただくために、釈尊に始まる仏教の智慧、哲学のアプローチ、心理学の知識を学び、活用していきたいと思います。

自分のアタマで考えよう

自分のアタマで考えよう
自分のアタマで考えよう
ダイヤモンド社

 ちきりんさんは、月に百万以上のページビュー、日に2万以上の
 ユニークユーザーを持つブロガー。社会人になったころ、上司に
 「考えが浅い!もっとよく考えろ!」と何度も叱られたことがあり
 「なにをどう考えればいいのよ!?」と心の底で叫んでいたそうです。


 この本は、あのころの自分に役立つような、わかりやすく、読んでいても
 楽しい「考えるための方法論をまとめた本」にしたい。と考えたそうです。
 「答えとしての知識」を受け入れてしまうようような人は「考える」ことが
 「知る」こととは違うのだというところからはじめる必要があるとのこと。


 私もブロガーの端くれ(崖っぷち)として、ちきりんさんスゲーって思いますけど、
 元々お持ちだった才能に加えて証券会社勤務、米国の大学院へ留学、外資系企業に
 勤務などを経る過程で培われた視点なのでしょうね。


 《「思考」は「知識」にだまされる。知識にだまされずに自分の頭で考えれば、
  良い面と悪い面の両方について思い浮かぶはず。すべての可能性を考えたうえで、
  自分の意見を言う。自分の頭で考えれば考えるほど稚拙になり、間違いも多くなる。
  それでも自分で考えた意見は、荒削りだけどユニークだし、ときには自分でも
  わくわくしてしまうほどおもしろいものになる。》


 《思考するためには、比較すること…》お客様が何と何をどのような尺度で
  比較しているかを推測することが大事ですね。


 ワークショップなどで課題を発見し、解決するためのの手段を探そうとしている時に、
 既に知っている方法を使おうとする人がいますが、本来であれば、複数の人の知識を
 合わせることによって、今までにないアイデアを生むことが目的であるはず。
 自分の頭だけではなく、他者の頭も使って、より大きく考えよう!


 自分のアタマで考えて、行動するということは、結果を受け入れる、ということ。
 責任を回避するために、自分で決められない人が多いような気がします。
 相手を批判しているばかりではなく、自分で提案できるような人になりたいものです。
 そのためにも、自分のアタマで考えないと(^^ゞ


 料理は、比較的、セオリーに従った方がうまく行く作業ですけれども、
 味覚は、人それぞれですから、自分好みの味付けは、自分のアタマで
 考えないといけませんね。例え話だと思いますけど(^▽^)/

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