なぜこんなに生きにくいのか
答えのない問題に早く決着をつけようと焦ることは、
誤った答えに向かって走ること……
南 直哉さんは、仰います。
"私は「問い」と「問題」を区別して考えています。
「問い」は、アプローチのしようがない、正体不明のわからなさ。
「問題」は、ある「問い」が言語によって明確化され、
アプローチできる状態になったこと。
なんだかわからないけどつらい、というような問いを、
少なくとも自分の言葉で設定できる課題にまで構成し直すこと、
つまり具体的な問題として言語化することが大切です……。
人は答えを出すことを第一に求めがちですが、
答えを出すことを急げば、問題は安直に構成されます。
答えはむしろないと思った方がいい。"
私たちは、言葉に定義を与えることで、答えのない問題に
早く決着をつけようと焦るわけですが、思惟の足らない定義付けは、
誤った答えに向かって全力で走るということに繋がりかねません。
むしろ答えを求め続けることが人生なのかもしれませんね。
そして、私たちは、生きている根拠を求めて、心の真ん中に空いている穴に、
詰め込むためのものを必死で集めているのかもしれませんね。
でもそれは結局、ラカンが言うところの他者の欲望に過ぎなくて、
アイデンティティとは呼べないものなのでしょうね。