ブッダに学び、解脱を目指す。

「ディフェンスラインを上げろ!」というタイトルから、「ブッダに学び、解脱を目指す。」というタイトルに変更しました。私の関心が、仕事から人生へと変わったからです。とは言っても、このブログのテーマは、仏教ではありません。自分が幸せになるために、他の人たちにも幸せになっていただくために、釈尊に始まる仏教の智慧、哲学のアプローチ、心理学の知識を学び、活用していきたいと思います。

なぜこんなに生きにくいのか

なぜこんなに生きにくいのか (新潮文庫)
なぜこんなに生きにくいのか (新潮文庫)
新潮社

 答えのない問題に早く決着をつけようと焦ることは、
 誤った答えに向かって走ること……


 南 直哉さんは、仰います。

"私は「問い」と「問題」を区別して考えています。

「問い」は、アプローチのしようがない、正体不明のわからなさ。

「問題」は、ある「問い」が言語によって明確化され、

アプローチできる状態になったこと。


なんだかわからないけどつらい、というような問いを、

少なくとも自分の言葉で設定できる課題にまで構成し直すこと、

つまり具体的な問題として言語化することが大切です……。


人は答えを出すことを第一に求めがちですが、

答えを出すことを急げば、問題は安直に構成されます。

答えはむしろないと思った方がいい。"

 私たちは、言葉に定義を与えることで、答えのない問題に
 早く決着をつけようと焦るわけですが、思惟の足らない定義付けは、
 誤った答えに向かって全力で走るということに繋がりかねません。
 むしろ答えを求め続けることが人生なのかもしれませんね。


 そして、私たちは、生きている根拠を求めて、心の真ん中に空いている穴に、
 詰め込むためのものを必死で集めているのかもしれませんね。
 でもそれは結局、ラカンが言うところの他者の欲望に過ぎなくて、
 アイデンティティとは呼べないものなのでしょうね。

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