「自分の力」を信じる思想
自分の力を信じられない私が「自分の力」を信じる思想というタイトルに惹かれて買った本…
《生きる上で最強かつ最後に必要なのは、知力・体力・経済力でもなく「自分の力」。自分で「考え」「まじめ」に努力する者だけにその力は与えられ、人生をまっとうすることができるのだ》という著者の言葉は、小さなことにくよくよしがちな私に勇気をくれる。著者に促されるままに、他人に承認されることよりも、自分自身を承認できるように、自分をまっとうしようとすること、目の前の「する」べきことに、つねに全身で「自分の力」をつかっていこうと思った。
わたしたちは「自分の力(できる力)」を欲している。真に自信のある人間は「自分の力」を信じて、「他人の力」を羨望しない。「自分の力」は、「できる」力と「わかる」力に集約される。勉強ができる、仕事ができるの「できる」であり、「ちがいがわかる男」、物事の本質・優劣・軽重がわかるの「わかる」である。さらにまた、この「できる」と「わかる」は、正確さとスピードと量に集約される。わたしたちが認めたくないことは、自分の無力である。あるいは力の限界であり、力の喪失である。
「力」とはなにか―自分を証明し承認されること。ようするに、自分を他人に認めさせたいし、自分(自身)にもその力があることを証明したい。「力」への願望はその意思からくる。「自分の力」を証明し、そのことによって自分が承認されたい。それが自分の存在理由となる。これが「力」への意思だ。外へ向かう力は「証明する力」(誇示する力)であり、内へ向かう力はいわば「(自分を)承認する力」である。「力」はそれじたいが目的にもなり、それぞれはまたべつの「力」を獲得するための手段でもある。
「自立の勇気をもたらしてくれる」力は、あくまでも自分の内部で充電していく「できる力」によるものだ。「夢や目標」はとりあえずなくてもかまわない。「自分らしい」ものでなくてはならない、ということもまったくない。自分に才能があろうとなかろうと、また自信があろうとなかろうと、自分の目の前にある「する」ことを、やればいい。昨日の自分より今日の自分という「自己新」(自己ベスト)を目指す意識である。
私たちが他人の承認を求めてしまうのは、結局、間接的に自分自身を承認したいからだ。しかし、そんなまどろっこしいことをしなくても、自分自身を承認するのは簡単だ。自分自身が価値があると思うことを実行することだ。