ブッダに学び、解脱を目指す。

「ディフェンスラインを上げろ!」というタイトルから、「ブッダに学び、解脱を目指す。」というタイトルに変更しました。私の関心が、仕事から人生へと変わったからです。とは言っても、このブログのテーマは、仏教ではありません。自分が幸せになるために、他の人たちにも幸せになっていただくために、釈尊に始まる仏教の智慧、哲学のアプローチ、心理学の知識を学び、活用していきたいと思います。

どうせ死ぬのになぜ生きるのか


・精神科医である名越先生が、到達した仏教の教え。そこには、理屈や西洋医学では解決できない問題を解きほぐす言葉にできない身体的な世界があるようです。

 表題の問いに対する答えは、読者それぞれが、これまでの人生の中で経験したことによって定義づけられているのではないか、と思いますが、名越先生のもとを訪ねる患者さんはともかく、多くの人は、このような問いを意識しないで、それこそ、ジャックラカンが言うところの他者の欲望を模倣しながら生きているように見えます。仏教は、そのような生き方に問いと答えを投げかけているのかもしれません。

 私自身は、「どうせ死ぬのに」という部分を、あえて避けているのかもしれませんけど、「なぜ生きるのか」という疑問が目の前に立ち塞がることはあります。そんな時、自分を納得させる回答は、既に背負ってしまった責任を果たすためであったり、家族とささやかな喜びを噛みしめるためであったり…

 いずれにしても「どうせ生きるのなら、明るく生きたい」とするならば、「できれば一日の始まりに近いところで、掛け値なしの爽やかな一瞬をつくっておく」と良いらしです。そして、そのピークはほんの10秒ほどであったとしても、朝の爽やかな自分の方が本来の自分だと感じられるそうです。
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