老師と少年
空海の『三教指帰』に登場する放蕩児(語り手の甥)が、儒教・道教・仏教を代表する3人の人物に説法を受け、最後に仏道に入るという筋書のように、老師が3人の人物に説法を受け、最後に道の人に導かれるという過程を少年に話すことによって、少年(読者)を覚りに導こうという試みですが、『三教指帰』と同じように、仏教についての基礎知識が乏しいものにとっては、かえって難易度が高い書物になっているような気もします。今私が躓いている、無我についての理解を促すような示唆があるものの、やはり頭だけで理解することは難しいと思いました。
この『老師と少年』に続いて『なぜこんなに生きにくいのか』を読み始めました。仏教の神髄は、高僧の話だけを聞いても、学者の話だけを聞いても解りにくいのですが、南 直哉さんの本は、客観的な視点からの話なので、分かりやすいです。
結局、仏教は、修行しないと分からないのか…と思い始めていましたが、南 直哉さんは『なぜこんなに生きにくいのか』で、変わりないのなら、例えば、1日5分座禅をすることを毎日続けるような、生活の変化で覚る?ことができると仰っています。
この『老師と少年』に続いて『なぜこんなに生きにくいのか』を読み始めました。仏教の神髄は、高僧の話だけを聞いても、学者の話だけを聞いても解りにくいのですが、南 直哉さんの本は、客観的な視点からの話なので、分かりやすいです。
結局、仏教は、修行しないと分からないのか…と思い始めていましたが、南 直哉さんは『なぜこんなに生きにくいのか』で、変わりないのなら、例えば、1日5分座禅をすることを毎日続けるような、生活の変化で覚る?ことができると仰っています。