ブッダに学び、解脱を目指す。

「ディフェンスラインを上げろ!」というタイトルから、「ブッダに学び、解脱を目指す。」というタイトルに変更しました。私の関心が、仕事から人生へと変わったからです。とは言っても、このブログのテーマは、仏教ではありません。自分が幸せになるために、他の人たちにも幸せになっていただくために、釈尊に始まる仏教の智慧、哲学のアプローチ、心理学の知識を学び、活用していきたいと思います。

イシューからはじめよ

イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」
イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」
英治出版

 仕事とは何かを生みだすためにあるもので、変化を生まないとわかっている活動に時間を使うのはムダ以外の何者でもない。これを明確に意識しておかないと「悩む」ことを「考える」ことだと勘違いして、あっという間に貴重な時間を失ってしまう。「悩んでいると気づいたら、すぐに休め。悩んでいる自分を察知できるようになろう」P5


「生産性」の定義は、「どれだけのインプット(投下した労力と時間)で、どれだけのアウトプット(成果)を生みだせたか」ということだ。生産性を上げたいなら、同じアウトプットを生みだすための労力・時間を削り込まなければならない。あるいは、同じ労力・時間でより多くのアウトプットを生みださなければならない。P22('120226)


 企業のように目的が利益であったり、成長であったり、存続であったりする場合には、相対的に少ないインプット(リソース)で、相対的に大きなアウトプットを出す必要があるだろう、しかし、目的がイノベーション(結果的にパラダイムシフトに繋がるようなこと)であったり、社会問題の解決であったりする場合には、徹底的なインプットと情報の整理による大きな変革が必要になるのではないだろうか?


 いずれにしても、メリットとデメリット、得るものと失うものを秤にかけ、決断しなければならないのだ。


 松下幸之助さんの言葉ではないですけれども、「儲けなければ社会貢献などできない。社会貢献していなければ儲からない」わけですけれども、限られたリソースとは、株主からお預かりした投資であり、再投資するリソースは、顧客から得た利益であるわけですから、時間を浪費(悩む)することは、株主や顧客を裏切ることにもなるんですよね。


 企業(自分の仕事)は、社会と繋がっているからこそ、利益を得ることができるし、存続することができるし、成長することができることを、ひと時も忘れてはならないのです。


 バリューのある仕事を生めるか生めないか、そのためには、全体を見る「鳥の目」と、細かく見る「虫の目」が必要だよね?と思って、念のためググったら、大局的な時流を読む「魚の目」と、前提を疑う「コウモリの目」も必要だと書いてあるではありませんか……。


 なるほど、4つの視点を持つことによって、盲点を無くし(少なくして)その中でイシューの高い仕事を選び、優先的に仕事をする。そういう意識が必要なんだと思いました。


「誰もが陥る『犬の道』の罠」は、ある意味、上からの指示だったり、新しいことに挑戦することを拒む自分自身の心理だったりするのではないかと思うのですが、それほど厳しい組織でなければ、それで仕事をしていると見なされる場合が多いですし、少なくともその時々は、楽なんですよね……きっと……陥らないようにしたいものですね。

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