ブッダに学び、解脱を目指す。

「ディフェンスラインを上げろ!」というタイトルから、「ブッダに学び、解脱を目指す。」というタイトルに変更しました。私の関心が、仕事から人生へと変わったからです。とは言っても、このブログのテーマは、仏教ではありません。自分が幸せになるために、他の人たちにも幸せになっていただくために、釈尊に始まる仏教の智慧、哲学のアプローチ、心理学の知識を学び、活用していきたいと思います。

下流志向


 著者の_内田樹先生は、神戸女学院大学文学部教授。この読書系SNSでも、先生はえらい、ためらいの倫理学などを紹介してきました。


 私が_内田先生の著書を読むようになったのは、まだサイクリングを始める前に遡ります。高くなってしまった血圧を下げるために江戸サイをウォーキングしていた頃。その日は、たまたまラジオを持って出かけていました。大竹まことさんのラジオ番組で、先生の「先生はえらい」を紹介していたのだ。この偶然の重なりによって、私は先生の著書に出会ったのです。


 この本も凄い本です。日本の子供たちの学力低下は、ゆとり教育のせいにされているようだが、先生は、この問題の違う切り口を見せてくれています。
 学びの場で、学ぶことに対して、教師に「先生、これは何の役にたつんですか?」と聞く子供たち・・・何の役に立つか知らなければ、自分にとって有益な情報でなければ、学ぶことを拒否する子供たち・・・

「起源的な意味での学びというのは、自分が何を学んでいるかを知らず、それが何の価値や意味や有用性をもつものであるかも言えないところから始まるものなのです。学びのプロセスに投じられた子どもは、すでに習い始めている。すでに学びの中に巻き込まれていしまっているのでなければならないのです。学び始めたときと、学んでいる途中と、学び終わったときでは学びの主体そのものが別の人間である、というのが学びのプロセスにに身を投じた主体の運命なのです」

 この考え方は、養老孟司先生が仰っていることにも相通じることであると思います。つまり、学んだことが何の役にたつかなんてことは、学ぶ主体が変わる(成長して視点が広がる)のだから想定できないわけだし、現時点の視点でこれから学ぶことを評価するなんてことは非常にナンセンスだということだと思います。

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