ブッダに学び、解脱を目指す。

「ディフェンスラインを上げろ!」というタイトルから、「ブッダに学び、解脱を目指す。」というタイトルに変更しました。私の関心が、仕事から人生へと変わったからです。とは言っても、このブログのテーマは、仏教ではありません。自分が幸せになるために、他の人たちにも幸せになっていただくために、釈尊に始まる仏教の智慧、哲学のアプローチ、心理学の知識を学び、活用していきたいと思います。

「上から目線」の構造


著者 : 榎本博明
日本経済新聞出版
発売日 : 2011-10-12

・今求められるのは、自己中心的心性から抜け出して、他人に関心を向けること。人間は、自分の視点からしか世界をみることができないが、相手に対する共感性を高め、想像力で視点の溝を埋めようと努力するのである。

 われわれは常に「論理的判断の基準」と「空気的判断の基準」という、一種の二重基準のもとに生きているわけである。半数以上のメンバーが賛同できない結論が「空気」によって強引に採択されたりするのだ。「察しのの文化」が深く根づいている日本では、場の「空気」に抗うのは至難の業なのである。


 今とくに求められるのは、自己中心的心性から抜け出して、もっと他人に関心を向けることである。人間は、だれでも自分の視点からしか世界をみることができないが、相手に対する共感性を何とか高め、想像力によって自他の視点の溝を埋めようと努力するのである。

 場の「空気」に抗うとは、相手を説得しようとする方法である。私の経験では、この方法は中々上手く行かない。なぜならば、説得する側が、論破された敗者というイメージを自分自身に与えることを嫌がるからだ。


 だから、説得するよりも、自ら納得するように促すのだ。相手に花を持たせ、相手がアイデアを思いつき、的確な決断をしたかのように持っていくのだ。自分が手柄を得たいという欲望を捨てなければ、より良い選択には、たどり着けないのだ。

知らないと損する 池上彰のお金の学校


「お金の歴史」から、「銀行」「投資」「保険」「税金」「ニュースの中のお金」
「身近なお金」まで、池上彰さんならではの分かりやすい授業です。

 毎日使っているお金だけど、私たちは意外にお金のことや経済のことを知らないのではないでしょうか?そして、一部のお金のことを知っている人に経済を牛耳られ、なけなしのお金を浪費しているのではないでしょうか?

 この厳しい時代を生き抜くために、私たちはもうお金のこと経済のことを良く分からないと逃げていることが出来なくなっています。政治家やマスコミが伝えていることを鵜呑みにせず。与えられた情報を正確に把握して、なけなしのお金を守るだけでなく、有効に活用してより豊かな生活にシフトして行かなければならないのではないでしょうか?

「Why型思考」が仕事を変える


・「なぜ」は「知らない」ではなく、その裏側を知りたいという意図の質問です。

 Why型思考のなぜなぜくんは、フレキシブルです。今ある規則やルールには、もともとそれができたときの背景や目的があるはずです。もしそれが今は違う状況になっていたのであれば、どんどん今のものを「打ち破って」、さらに新しいものを造り直してしまえばいいと考えます。

 Why型思考と聞くと、トヨタが発祥の地であ「なぜなぜ5回」とも呼ばれる「なぜなぜ分析」のことを思い浮かべてしまいますが、私は、それに加えて、「なんのため?に5回(何のため?分析)」を提唱します(もしかしたら「なぜなぜ分析」と同じものかもしれませんヾ- -;)。

 誰かに何かを頼む時、自分より上からの指示だったりすると、ついつい何のために?という自問自答を疎かにして、頼んでしまいがちです(もちろん上司に「何のためですかぁ~?」なんて聞ける雰囲気ではありません)。そんな時、ちょっと頑張って、自分なりに、何のためなのか?少なくとも自分が納得できるまで考えてみましょう。

人生を無理なく変えていく「シフト」の法則


 遅かれ早かれ、私たちはみな、墓に入る時が来るのだ。静かで落ち着いた、永遠の休息を得る場所にあって、大いに努力して自分が生きたいように生きたと振り返って確信できるだろうか。なるべき自分になるべく、自身の限界に挑戦したことへの満足感とともに振り返ることができるだろうか。私は自分自身が「イエス」と言えることを願っている。

 訳者あとがき抜粋「人生において、抜本的かつ急激に変化を加えようとしても、継続できずに終わることがあまりに多い」「遅くても着実に進むものが勝つと知っているカメのようなゆっくりとした動き」こそシフトの本質です。一段ずつギアをシフトするようにゆるやかに、あなたらしさを損なわず、かつ確実に成長してゆく道を示してくれています。

高学歴でも失敗する人、学歴なしでも成功する人


 私は高卒後デザインの専門学校に進んだ。同僚は大卒。後輩には国立大の出身や大学院卒もいる中で働いている。彼らは、勝間さんが言うアカデミック・スマートな人達だ。彼らは、与えられた枠の中での仕事は速くクオリティも高いが、仕事の目的に対する掘り下げが浅いような気がする時がある。

 疑問に思ったこともあまり考えずに、やらなければならないことに集中しているように見える。私は、間違った道を速く走るよりも、正しい道を着実に歩む方が遥かに大きな成果が得られると思っている。この本を参考に、ストリート・スマートを目指したいと思う。

 とは言っても、体系的に学んでいないために、論理的に理解できなかったり、説明できなかったりするときには、アカデミック・スマートな人たちのことを羨ましく思うことも少なくない。特に化学や物理などの理科系の分野では、表面的な知識だけを憶えただけではだめで、やはり基礎的な部分からしっかり積み上げておかないと役に立たないのだ。