ブッダに学び、解脱を目指す。

「ディフェンスラインを上げろ!」というタイトルから、「ブッダに学び、解脱を目指す。」というタイトルに変更しました。私の関心が、仕事から人生へと変わったからです。とは言っても、このブログのテーマは、仏教ではありません。自分が幸せになるために、他の人たちにも幸せになっていただくために、釈尊に始まる仏教の智慧、哲学のアプローチ、心理学の知識を学び、活用していきたいと思います。

大福の 美味しさバズる 抹茶ラテ

ミニマリストに憧れたバアバさんの好奇心を刺激した!?
「抹茶ラテ」……。ネスカフェだと思っていたのですが、ブレンディでした。


そもそも 抹茶に興味を持ったのは、柏の葉公園にある茶室で、
抹茶と和菓子のセットをいただいた時......。和菓子の甘さに、
抹茶のほどよい苦みが、人間ならではの味わいだと思ったのです。


ブレンディの抹茶ラテは、加糖なので和菓子がなくても楽しめます。
涼しい秋のアフタヌーンティーとしていかがですか?

AGF ブレンディ スティック 抹茶オレ 21本 【 粉末 抹茶 】
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AGF
食品&飲料

話は違いますが、例えば、お刺身をいただいているとき、
自分が味わっているのは、実は、醤油が主役で、
お刺身は、脇役なのではないか!? と思うことがあります。
段々、例は、悪くなりますが、お好み焼きのソース、
サラダのドレッシングなどもそうです。


もちろん、お刺身や、お好み焼き、野菜が美味しくなければ、
醤油や、ソース、ドレッシングの味も台無しなのですが……。


もしかしたら、ケーキの甘さもコーヒーや紅茶の味を楽しむためで、
和菓子の甘さも、抹茶の苦みを味わうためのものなのかもしれませんね。

自由とは 洗脳という ことなのか

・人類が一度は獲得したかのように見えた自由が、新自由主義の元、レコメンドという"仮想的な自由”によって束縛を強めているのではないか?という新たな問いを生む機会を作ってくれました。


・『私とは何か』を読んだ時にも感じたことですが、改めて平野さんは凄い人だと思いました。『私とは何か』では、私が中々腑に落とすことができないでいた構造主義についての疑問に「分人」という言葉でヒントを与えてくれました。この『自由のこれから』では、人類が一度は獲得したかのように見えた自由が、新自由主義の元、レコメンドという"仮想的な自由”によって束縛を強めているのではないか?という新たな問いを生む機会を作ってくれました。また、慶大法学部教授である大屋雄裕さんとの対談では、教授の見解「満足」を引き出しています。


・『私とは何か』は、私の人生の軌道を修正してくれた本の一つに入れたいほど良かったのですが、この『自由のこれから』も、現代社会を一刀両断にする中々切れ味のよい刀のような本です。著名な社会学者たちも、同じようなことを言っているのかもしれませんが、それを、私のような勉強不足のオジサンにも、分かりやすい事例(ある意味、如実に現象が現れている分野なのかもしれませんが…)で示してくれています。


・首相や大統領、大企業の代表じゃなくたって、中小企業の社長、お父さんだって、自分が率いるコミュニティの隅々まで把握することは難しいし、集団の総意をまとめるのは大変ですよね。ある意味、個々の「全体最適を目指そうとする善や徳」に任せなければならないわけです。でも、みんな自分が可愛くて、システムにコッソリ無意識を埋め込むんですよね。

自由のこれから (ベスト新書)
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ベストセラーズ

好循環 仕事の基本は 5Sから

「運気の好循環は掃除(断捨離)から」と言われますが、
 仰る通り「中らずと雖も遠からず」ですよね!
 滅多に使わないものを、使えるような状態で維持するためには、手間がかかるし、
 場所も取るので、費用もかかるし、希少な資源である時間を浪費しているわけです。


 家庭が断捨離なら、職場は5Sです。


 整理‎: ‎要るものと要らないものの区分をして、不要なものを捨てること
 清潔‎: ‎ピカピカの状態に磨き上げ、きれいな状態を維持すること
 整頓‎: ‎必要なものを、必要な時に取り出せるように使いやすく並べること
 清掃‎: ‎きれいに掃除をしながら、設備・治工具などを点検する...
 躾 : 整理・整頓・清掃・清潔の状態を常に維持すること


 新型コロナウイルスの影響で、在宅勤務が増えると、スーツも減らせるかも?
 自宅に持ち帰れない紙の資料は、データ化してバッサリ捨てることによって、
 逆に検索しやすくなって探す時間を短縮することができるかもしれません。


これだけ! 5S 【これだけ!シリーズ】
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すばる舎
Digital Ebook Purchas

法則は 知ってるようで 知らないの

 哲学史を学んで、哲学をしたつもりになってはいけないように、
 あらゆる事実は、知ったからといって、法則を理解しているとは限らない。
 私たちは、事実を知って、仕組も理解したような気になってしまいがちだが、
 ちゃんと仕組みを理解していないと応用が利かない(効かない)。


 難しい問いに対しては、自分のアタマで考えた回答をすることができず、
 どこかで聞いたことのあるような、ステレオタイプな回答になりがちだ。


 自分のアタマで考えるということは、事実を覚えるという方法では身につかない。
 ケーススタディやシミュレーションを繰り返し、異なる問いに対しても仕組みを
 当てはめられるようになる必要がある。


 何か聞かれた時に、自分のアタマの引き出しを探しているような人は要注意だ。
 使い慣れた物差を引っ張り出すことも、止めておいた方がいい。KBの物差で
 ZBやYBのは測れないからだ……
 

知っているようで知らない 法則のトリセツ
知っているようで知らない 法則のトリセツ
徳間書店


 タイトルの通り、知っているようで知らないことがたくさん記述されています。 ビジネス書としては、10冊分ぐらいの密度があります。 そういう意味では、大変お買い得な本で、おすすめできますが、上級者向だと思います。 巻末に索引が付いていることも、とても良心的だと思います。 一度、読んで終わり。という感じではなく、辞書のようにデスクに一冊って 感じの本です。でも、読み物としての面白みには、欠けるかな…


 自己啓発書には、4つの象限があるような気がします。事実に基づいて極めて体系的にまとまっていて、後から読み返しても知りたい部分に短時間で到達できる辞書のようなもの… 


 事実に乏しく体系的にはまとまっていないが、過去の偉人などが残したエピソードをふんだんに引用して、記憶に残る物語のようなもの…残る象限は、事実に基づいて体系的にまとまっており、かつエピソードもふんだんに用いられている完全無欠なもの…最後は、どこまでが事実でどこからが著者の意見なのかが曖昧で、印象に残る引用もないもの…


 どれが良いかは、読者の好みにもよりますが、この本も貴重な存在です。

わからない わかったつもり よりましか

 私たちは、わかっているつもりでも、実は、わかっていないことが多い。
 わかっているつもりのことを、わかっていないという状況が、一番危険である。
 自分は経験豊富だと思っている人ほど危険である。早飲み込みしやすいからである。
 世の中は、私たちが思っているよりも遙かに速いスピードで移り変わっている。
 情報の増加も急激だ。自分が持っている情報が十分だと思っている人ほど危険である。


 若い人たちは、日々膨大な情報に晒されることになれている。
 膨大な情報を入り口で取捨選択して、ムダな情報を捨てることが上手い。
 それは、通り過ぎる情報を理解していないということではない。
 そこそこ理解した上で、ストックする情報とフロー(スルーではない)情報を
 瞬時に峻別しているのだ、


 若くない人たちが気をつけなければならない状況は、通り過ぎる情報が
 見えてすらいない状況だ(見えてすらいないのだから、気をつけようが
 ないとも言える)。謙虚になって、新しい情報をキャッチできるようになろう。
 ストックした情報と照らし合わせて解釈できれば、若い人たちよりも
 優位に立てる可能性がないわけではない。
 

「わかる」とはどういうことか ――認識の脳科学 (ちくま新書)
 ――認識の脳科学 (ちくま新書)
筑摩書房
Digital Ebook Purchas

 思考の単位は、記憶心像である。記憶心像の整理には、言葉が重要な働きをしている。相手の言葉を理解するには、社会共通の言葉の意味を知っておく必要がある。


 意味の記憶は、何度も繰り返し経験することで少しずつつくり上げていく記憶である。繰り返すと同じ神経回路が活動する。同じ神経回路が興奮すると、その回路を作っている神経細胞と神経細胞との繋がりはだんだん強固になり、一回だけの記憶だと忘れてしまうことでも、忘れにくくなる。


 知能とは、常に変化し続ける状況合わせ、その時にもっとも適切な行動を選び取る能力である。ある状況に最適な行動を起こすには、複数のプランが必要である。前頭前野は、複数の行動プランを同時に想起して、その中からその時の状況にもっとも適切なプランを選択し、それを実行するという役割を担っている。


 われわれの心の動きに重要なのは心像(心に思い浮かべることのできるすべての現象)であって、客観的事実ではない。心像を扱うのが普通の心の動きで、客観的事実は心にとってあってなきがごときものなのだ。われわれの心は心像しか扱えないのだ。

 わが家の縞ちゃんは、言葉を持たないので、記憶心像を整理することができないはずだが、彼女はどのようにして最適な行動を撰んでいるのだろう?逆に私たち人間は、目で観た世界をいちいち言葉に変換して理解している。


 そして、言葉を繰り返す程、神経細胞の繋がりが強化されるということは、思考や考えたことを書いて整理することを繰り返す人ほど、複数のプランを立案し、その中から最適な行動を選び出す力があるということだ。このような駄文を記述することも、記憶心像の整理に役だっていると信じたいものだ。