「わからない」という方法
・生徒が、初めにマスターするのは、教師という「他人のやり方」なのである。それが「基本のマスター」であって、学ぶ側の人間は「他人のやり方」を、自分の特性に見合ったものとして変えて行かなければならない。
「自分とは違う他人のやり方から自分に見合った個性的なものへの転換」なのである。「学ぶ」とは、教える側の持つ「生き方」の強制なのである。「その生き方がいやだ」と思わせてしまったら、その教育は崩壊する。ただそれだけのことである。
橋本治さんが、この『「わからない」という方法』の中で書いている「教育が崩壊する」理由を理解していない教師も少なくないのではないだろうか?教師自身が、自分の生きざまを生徒に見せつけ「そういう生き方も良いよね」と思わせることができなければ、誰がその教師の指導を真に受けるだろう?
私を導いてくれた先生方は、誰もが自分の生き方や教師であることに誇りを持っていた。だから、生徒を導くことができたのであろう。
学ぶ側は、手っ取り早くノウハウだけを学びたい。