ブッダに学び、解脱を目指す。

「ディフェンスラインを上げろ!」というタイトルから、「ブッダに学び、解脱を目指す。」というタイトルに変更しました。私の関心が、仕事から人生へと変わったからです。とは言っても、このブログのテーマは、仏教ではありません。自分が幸せになるために、他の人たちにも幸せになっていただくために、釈尊に始まる仏教の智慧、哲学のアプローチ、心理学の知識を学び、活用していきたいと思います。

青い象のことだけは考えないで!


本文より・・・

 私たち人間は、じつは無意識に制限されていて、ちっとも自由になど行動していないのだ。私なら、自由意思は、「実際には存在しないが気にすることはない」と答えるだろう。「自由意思は幻想に過ぎない」

 「制限なしの決断はありえない。決断は、生き続けるために行われるものだからだ。脳が制限なしに何かを決めていたら、身体は生きていられなくなる」もともと脳は、なるべく摩擦を起こさず働こうとする。「生存のために」必要だからだ。どんなに合理的な理由があっても、自分の感情的な欲求に反することは無理に押し通せなくなる。

 頭の中の考えは、身体や周囲のものごとに影響する。身体が感覚器官で受けた刺激として感じる各情報は、脳で記録され、処理される。この情報を処理するプロセスの結果が、神経細胞のモデルとの相互作業の中で、私たちの現実世界と意識なのである。

 身体の変化はすぐ脳に伝わり、脳内の変化も身体に伝わり、どちらも隠しておくことはできない。他人や社会に順応しようちするプロセスを通じて、脳と身体の分離が起きる。他の人から好かれたい。社会に属したいという欲求は、身体の欲求よりも強いからだ。しかし、身体で感じることは社会への適応と同じぐらい重要だから、身体で感じることを絶対にないがしろにしてはならない。
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