ブッダに学び、解脱を目指す。

「ディフェンスラインを上げろ!」というタイトルから、「ブッダに学び、解脱を目指す。」というタイトルに変更しました。私の関心が、仕事から人生へと変わったからです。とは言っても、このブログのテーマは、仏教ではありません。自分が幸せになるために、他の人たちにも幸せになっていただくために、釈尊に始まる仏教の智慧、哲学のアプローチ、心理学の知識を学び、活用していきたいと思います。

99・9%は仮説

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)
99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)
光文社

 世の中に客観などあり得ない。誰もが世の中を、
そして自分自身すらも主観的に観察し評価している。


 世の中に客観などあり得ない。誰もが世の中を、そして自分自身すらも主観的に観察し評価している。習慣を寄せ集めて可能な限り客観に近い主観を手に入れようと努力するのか、割り切って自分の主観に全権を委ね、自分の主観が満足する人生を追求するのか、それは個々の自由なのかもしれないが、世の中が住みにくい方向に暴走している事態は、既得権益を守ろうとする人々が、自分自身の主観が、客観とは程遠いものに過ぎないという事実を知らず、自分の主観に頼った正義を振りかざすからだろう。


力を持つ者ほど、知的でなければならない。


 単純な一元論や二元論を離れ、より大きな視点でものごとをみることが大切。より大きな視点とは「間主観性」と呼ばれているもの。世の中に100%の客観などありえない【客観とは、ある意味で習慣の寄せ集め】問題は、どうやってバラバラな主観的仮説どうしの間を「翻訳」し、 全体をうまく協調させるかなのです。


 間主観性というのは、ようするに「相手の立場になって考えてみる」というだけのことなのです。科学的な態度というのは、「権威」を鵜呑みにすることではなく、さまざまな意見を相対的に比べて判断する“頭の柔らかさ”なのです。

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