ディフェンスラインを上げろ! @ 作業興奮だ!

ディフェンスラインを上げろ!というタイトルですが、このブログのテーマは、サッカーではありません。私がディフェンスラインを上げろ!と言っているのは、個人や組織の能力の底上げを意味しています。天才ならともかく、凡人は、特定の能力を高めるよりも、汎用性の高い能力の底上げが大切です。この考え方は、私たち一人ひとりの人生にも、組織の運営にも、必要な意識をもたらすものだと信じています。

私は、ペルソナか、それとも「分人」か…

内向型人間のすごい力 静かな人が世界を変える (講談社+α文庫)
内向型人間のすごい力 静かな人が世界を変える (講談社+α文庫)
講談社
2016-01-08
Kindle本

『内向型人間のすごい力 静かな人が世界を変える (講談社+α文庫) 』
>> 生まれてから58年と9ヵ月…私は自分を外向型人間だと信じて疑わず生きてきました。でも、この本に寄せられた皆さんの感想を拝見していた時、自分も複数のペルソナを使い分け、巧みに(無意識になので、他者から見ると稚拙に!?)他者と接してきたのかもしれない、と思いました。私が苦手なのは、おそらく私のように何らかの理由で基底的自己価値感が傷ついている人で、そのような人同士は、心ならずとも相手を意識し合い傷つけあってしまいがちなのかもしれません。2017/04/04


実は私、その後この本を買ってきたものの、さわりだけ読んだだけなのですが、このブログに書き留めておこうと思った理由は、前述の「自分も複数のペルソナを使い分け、巧みに(無意識になので、他者から見ると稚拙に!?)他者と接してきたのかもしれない、」という件について、別の考え方が急浮上してきたからです。それは、平野啓一郎さんの『私とは何か――「個人」から「分人」へ』を読んだことが切っ掛けでした。

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)
私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)
講談社

「平野啓一郎さんは、心理学者でも精神科医でもなく一人の小説家です…」平野さんは私たちが「他者から本質を規定されて自分を矮小化されることを恐れている」と書いています。私たちは、コミュニケーションを交わす相手ごとに、その相手にフィットした自分の中の「分人」を発動させ、適応することによって、人間関係を円滑にし、人生を楽しんでいます。平野さんは、世間から小説家と規定されているが、この本で「分人」という単位を提案する姿は、紛れもない心理・精神の探求者であり、私は、大きなパラダイムシフトの兆しを予感します。


「分人」という概念の発見は、私にとっては、フロイトの「自我」「エス」、ラカンの「欲望は他者の欲望である」「対象a」と並ぶ大発見なのではないか?と思いました。


 平野さんは「人間の自我は、常に首尾一貫した分けられない存在であり、様々な相手に接する時は、キャラや仮面、ペルソナを使い分けている。」という考え方は間違っており、「一人の人間の中には、両親や恋人、親友と接する時の分人、職場での分人と、複数の“分人”が存在していて、あなたという人間は(常に首尾一貫した存在ではなく)、長い時間をかけた相手との相互作用の中で生じる分人の集合体である。」というものです。


「分人」という単位が腑に落ちない人は、おそらく「常に首尾一貫した自分を貫いてきた人」と、「キャラや仮面、ペルソナを使い分けることで適応してきた人」との間にいるのだと思いました。


 他の方のご感想・レビューを拝見していた時に、遅ればせながら気がついたことがありました。自分は、相手(専用?)の「分人」で応対しているのに、相手が、それが、私の常に首尾一貫したアイデンティティだと思っていたり、或いは、相手との関係の中で、キャラや仮面、ペルソナを使い分けていると思っていたりして、場合によっては、「誰々さんって、何々だよねぇ~」なんて言いふらしていると思うと、ぞっとするということなのかもしれないということでした。


 平野さんは、何らかの理由で、相手との関係が失われると、自分の分人も失われてしまったり、更新されなくなってしまったりする。と言う。しかし、相手との関係が失われることによって、自分の中の分人と共に美化されることもあるのでしょうね。


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