ディフェンスラインを上げろ! @ 作業興奮だ!

ディフェンスラインを上げろ!というタイトルですが、このブログのテーマは、サッカーではありません。私がディフェンスラインを上げろ!と言っているのは、個人や組織の能力の底上げを意味しています。天才ならともかく、凡人は、特定の能力を高めるよりも、汎用性の高い能力の底上げが大切です。この考え方は、私たち一人ひとりの人生にも、組織の運営にも、必要な意識をもたらすものだと信じています。

 嫌われる勇気

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
ダイヤモンド社

 >人は誰しも、客観的な世界に住んでいるのではなく、
  自らが意味づけをほどこした主観的な世界に住んでおり、
  自分の主観から逃れることはとても難しいことなのです。


  しかし、われわれが自分自身や世界の見方を変えれば、
  今までは八方塞の暗闇のように感じられた世界だって、
  光に溢れ希望に満ちた世界に変えることができます。


  人は変われます。のみならず、幸福になることもできます。
  わたしたちの力は計り知れないほど大きく、わたしたちが
  変われば世界が変わってしまいます。世界とは、ただ、
  わたしたちによってしか変わりえないのです。


 サブタイトルに「アドラーの教え」とありますけれども、
 これはやはり教えではなく「哲学へのいざない」なのだと思いました。
 ですから何度読み直しても、わたちたち一人一人のための答えを、
 この本の中から見つけ出すことは出来ないのではないかと思います。


 答えが見つかるとしたら、今まで縦方向から見下ろしたり、
 見上げたりしかできなかった人間関係を、横を見渡すようにする
 ことによって、違った世界が見えるようになるかどうかだと思います。
 さあ自分自身との対話を始めましょう。そして対話できる人間関係を
 構築しましょう。


 自分が変われば世界が変わる…とは、哲学的な示唆だと思います。
 世界は、個々の人の意識でしか感じられないことなので、私たちは、
 完全に客観的な世界を認識することはできないわけです。だから、
 自分の主観が変われば、世界は変わってしまう(変わって見える)
 わけです。


 嫌な言い方をすると、自分が変わることで、世界を自分の都合の
 良いように変えることすら可能なわけです。嫌なことに過剰に反応せず、
 気持ちの良いことをより強く感じることもできるはず。但し、破壊的な
 行為ではなく、創造的な行為を通して変わって行きたいものです。


 いつまでも原因論に捕らわれていては、未来を明るく照らすことが
 できないことは間違いありませんが、だからといって目的を達成することに
 拘り過ぎても自己嫌悪に陥る可能性が考えられます。目的・目標の方向を
 確認しながら、今ここでダンスを楽しむように精一杯生きることこそ、
 今を楽しみつつ、目的・目標に近づく唯一の方法なのでしょう…


 教えるということは、ある意味、自分の価値観を押し付けることに繋がります。
 だとしたら、人を評価したりしてはいけないのかもしれませんね。その人の
 生き方を認めてあげることが大事なのかもしれません。


 今の私がとりあえずたどり着いた答えがあるとすれば、「自分が存在している
 理由や意味はないのだけれども、生きる理由は、自分のためと人のために
 生きたいし、生きることが期待されているし、生きなければならないのでは
 ないか?」というものです。あれ、まだ疑問符(?)で終わってる…


 「大切なのは“何が与えられているか”ではなく、与えられたものをどう使うか」
 「自分の課題と他者の課題を分け、他者の課題に介入しない」というところは
 素晴らしいですね。私たちは、ついつい「与えられていないことをやむことで、
 与えられいるものを発見できず、他人の課題に介入することで、無力感に
 苛まれる」のではないかと思いました。


 過去を振り返ること、人から受ける影響を気にかけること、どちらも、
 今の自分の努力だけではどうにもならない部分がありますよね。
 自分の力でどうにかなることに集中して生きていきたいと思います。


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