ブッダ物語
・『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』の島田裕巳さんが書かれた、『ブッダは実在しない』とあわせて手に入れた『ブッダ物語』…さあ、真実はどっちだ(・・?
島田裕巳さんの『ブッダは実在しない』の次に読みました。書かれていることは、言い伝えに忠実であろうとするためか、まるで、おとぎ話のようで、リアリティに欠けるので、期せずして、ブッダは創られた教祖なのではないか?という疑念を強めるものでした。
しかし、ブッダの教えが時代と共に創造・精製されたものであったとしても、私たちが追い求めるものは、命の炎が弱まるにつれて色あせて行くものであることは間違いありません。ブッダが残したとされる言葉の数々に思いを巡らせ、自らの答えを探す者は、ブッダの弟子と言えるのかもしれません。
「一般向けに、お釈迦さまの伝記を書いてほしい」と編集部から依頼されて執筆されたという『ブッダ物語』は、中村元先生が、できるだけ客観的に書かれたものと思われますが、今ひとつ、先生の思いが伝わって来ない「もどかしさ」を感じるのも事実です。思いは、読者が創出するのかな?
これを物語だとすると、いわゆる三人称視点で書かれているんですよね。改めて考えると、童話の殆どがそうなのですが、まさに、その物語に込められた思いを、どのように感じるかは、読者の裁量に任されているのかもしれませんね。
島田裕巳さんの『ブッダは実在しない』の次に読みました。書かれていることは、言い伝えに忠実であろうとするためか、まるで、おとぎ話のようで、リアリティに欠けるので、期せずして、ブッダは創られた教祖なのではないか?という疑念を強めるものでした。
しかし、ブッダの教えが時代と共に創造・精製されたものであったとしても、私たちが追い求めるものは、命の炎が弱まるにつれて色あせて行くものであることは間違いありません。ブッダが残したとされる言葉の数々に思いを巡らせ、自らの答えを探す者は、ブッダの弟子と言えるのかもしれません。
「一般向けに、お釈迦さまの伝記を書いてほしい」と編集部から依頼されて執筆されたという『ブッダ物語』は、中村元先生が、できるだけ客観的に書かれたものと思われますが、今ひとつ、先生の思いが伝わって来ない「もどかしさ」を感じるのも事実です。思いは、読者が創出するのかな?
これを物語だとすると、いわゆる三人称視点で書かれているんですよね。改めて考えると、童話の殆どがそうなのですが、まさに、その物語に込められた思いを、どのように感じるかは、読者の裁量に任されているのかもしれませんね。