家族の痕跡 いちばん最後に残るもの
「家族」この奇妙な共同体
冒頭
私たち一人ひとりの幸不幸は、好むと好まざるにかかわらず、家族という「ほかのいかなる人間関係よりもマシな形態」の在り方に依存していることを自覚したのだから…
引用した部分の前半に続いて
岸見一郎先生が、アドラーの教えとして、原因論ではなく、目的論を説いていますが、やはり、私たちの気質を形作っているものが、家族に起因しないはずはないと思います。アダルトチルドレンはともかく、ダブルバインドは、どんなに健常な親でも、気分が良くない時には、やってしまうのでは…
私が、斎藤環先生の存在を知ったのは、佐藤優さんの『嫉妬と自己愛』に収録された対談でした。これからも、著書を発見したら、手に入れて読みたいと思います。
冒頭
と始まって《「家族」この奇妙な共同体には、実に多くの矛盾と逆説が詰め込まれている。家族は、絶望であって希望である。》
と終わる本書を読み終えた後、読者は否が応でも自分の家族を見詰め、自分自身と家族のありかたについて考えざるを得なくなるだろう。《「人間」と「家族」だけは、変われば変わるほど変わらない。~私たちはいかにして「家族」と共存しうるのか。~》
私たち一人ひとりの幸不幸は、好むと好まざるにかかわらず、家族という「ほかのいかなる人間関係よりもマシな形態」の在り方に依存していることを自覚したのだから…
引用した部分の前半に続いて
という件があるのですが、同じことを自分自身の言葉に置き換えると「最も理解され認められたい対象は家族であるにも関わらず、真に理解された認められたという感じが得にくく、かつ仮に理解された認められたという感じが得られたとしても満足できない対象が家族なのかもしれない。」と思ってしまいました。《つまり家族は、絶望であって希望である。人間がそうであるように。》
岸見一郎先生が、アドラーの教えとして、原因論ではなく、目的論を説いていますが、やはり、私たちの気質を形作っているものが、家族に起因しないはずはないと思います。アダルトチルドレンはともかく、ダブルバインドは、どんなに健常な親でも、気分が良くない時には、やってしまうのでは…
私が、斎藤環先生の存在を知ったのは、佐藤優さんの『嫉妬と自己愛』に収録された対談でした。これからも、著書を発見したら、手に入れて読みたいと思います。
