ブッダに学び、解脱を目指す。

「ディフェンスラインを上げろ!」というタイトルから、「ブッダに学び、解脱を目指す。」というタイトルに変更しました。私の関心が、仕事から人生へと変わったからです。とは言っても、このブログのテーマは、仏教ではありません。自分が幸せになるために、他の人たちにも幸せになっていただくために、釈尊に始まる仏教の智慧、哲学のアプローチ、心理学の知識を学び、活用していきたいと思います。

幸福になりたい人のために……。

 幸福になりたい人のために…。なんて大それたタイトルの記事が書けるような立場ではないのですけれども、新型コロナウイルスの影響で、読書の時間が増え、私自身の人生が変わる切っ掛けになるような本に再会したので、その経験から考えてみようと思います。


 再開した本とは、ロビン・シャーマ氏の本たち……。
 最初に読んだ時は、良く分からなかった「肩書のないリーダー」という言葉の意味が、こんな時だからこそ、良く分かりました。感想・レビューでも書いたことですが、肩書のあるリーダーたちが迷走する中、肩書のないリーダーたちが、見返りを求めない善意の行動を起こし、周囲を引きつけて大きな動きの切っ掛けを作っています。


 もう一つ気がついたことは、私は、今のままで幸せであるということ……。今まで、現状に満足できず、もっと良くなりたいと思っていました。それは、言い換えれば、今は十分に幸せではないと思っていたということ、心の中には不満を溜めていたことです。しかし、新型コロナウイルスが猛威を振るうようになると、食事をおいしくいただけて、十分に睡眠がとれるということは、それで十分に幸せじゃないか!と思えたのです。


 ここで話は飛躍してしまうのですが、私が思ったことは、幸福になりたければ、自分の気持ちを変えよう!ということなのです。まず、自分の置かれている状況に感謝をすることです。次に、肩書のないリーダーとなって周囲に貢献することで、一見、閉ざされているように見える道が開ける可能性がでてくるのです。

書店員が教えてくれた人生で最も大切なこと
書店員が教えてくれた人生で最も大切なこと
アチーブメント出版
3週間続ければ一生が変わる〈ポケット版〉
3週間続ければ一生が変わる〈ポケット版〉
海竜社
幸せなリーダーになる8つの習慣
幸せなリーダーになる8つの習慣
ダイヤモンド社

語彙力を身につけたい人のために…

 私たち(日本で生まれ育った人)は、生活するために必要な日本語を話すことはもちろん読み書きすることができますから、自分に語彙力が有るのか無いのかなんて意識することはありませんよね。でもコミュニケーションの多くがE-mailでのやり取りになると、語彙力のあるなしによって、相手に伝えたいことが上手く伝わるか伝わらないかという違いがでてきます。


 先日、Webに上げる原稿のコピーチェックを頼まれた時とても驚きました。その原稿は、記事のように見せかけた広告で、若い女性に向けたものだったのですが、終始、馴れ馴れしい話し言葉で書かれており、60歳を過ぎた私には、違和感を感じるものでした。
それはそれで目的には合致したものなのかもしれませんが、私には説得力のある文章だとは思えませんでした。


 ところで、語彙力を身につけるために最も良い方法は、多読とのことです。出版されている本は、ネット上に溢れている言葉よりも、整理されており、それを読み理解しようとすることが、語彙力を身につけるために有効だからだと思います。


 翻訳された本を読んでいると、面白いことに気がつきます。それは「この本を翻訳した人は、主に新聞を読むことによって、語彙力を磨いた人だな」というようなことです。
 つまり、語彙力を身につけたいと思ったとき、もっとも参考になるのは、私たちが書かなければならない文章に近いものなのです。

 お風呂の窓が開かなくなった…(その2)

 その後、お風呂の窓のハンドルを購入することができたので、無事、お風呂の窓が開くようになりました。


 ところで、お風呂の窓のハンドルは、何故、さびてしまったのでしょうか? それは、私が、塩素系カビ取り剤(次亜塩素酸ナトリウム溶液)をかけたからです。


 新型コロナウイルスの影響で、エタノールの消毒液が不足する中、塩素系漂白剤(次亜塩素酸ナトリウム溶液)も使えるよ!という情報がありますが、塩素系漂白剤は、人体に使えませんし、金属に使うと錆びてしまうので、注意が必要です(当たり前ですが、色や柄のある繊維に使うと、漂白されてしまいます)。


 お風呂や洗面所は、カビの温床なので、ついつい塩素系カビ取り剤を使ってしまいますが、使う時は、お風呂の窓やドアを開け、少なくとも手袋を装着し、身体や衣服につかないように気をつけてくださいね。

働くことがイヤな人のために(その1)

 私は、これまで、およそ36年間、働いてきました。当然のことながら「働くことがイヤだ」と思うことも少なくありませんでした。岸見一郎先生が『嫌われる勇気』で書かれていたように、「働くことがイヤだ」と思うときは、人間関係の問題があったような気もします。また、それは自分の無力さを直視できないでいるときだったかもしれません。


 幼児の頃、私たちは、泣くことによって助けてもらうことができました。しかし、児童になると、母親や父親がいつもそばにいるわけではなく、先生は、多くの子どもたちのめんどうを見なければならないわけですから、私たち一人ひとりを丁寧にケアすることはできません。こうして、私たちは少しずつ自立を促されていくわけです。


 社会人になると、私たちは効率を求められ同僚と競争をしいられます。同じように成果を求められる上司から、叱責をうけることもしばしばです。そのような環境で、自信を保ち自分の将来に希望を持ち続けることは、意外に大変なことです。


 そんなとき、わたしたちは、どうすれば良いのでしょう? 私は、こう思うようにしています。今だって、そんなに悪い環境ではない。この環境で出来ることがないだろうか? または、環境を変えることが出来ないだろうか? と…。意外と、自らが率先して良いと思うことを始めると、周囲に良い影響が波及します。決して、見て見ぬふりをする人ばかりではありません。中には、一緒に行動してくれる人もいるものです。

コロナの時代

 安倍晋三首相は14日夕に開いた記者会見で、「多くの地域での解除によって、ここからコロナの時代の新たな日常を取り戻していく。今日はその本格的なスタートの日だ」と強調した。とのこと……。


 私が、えっ!と思ったのは、『コロナの時代』という言葉……。『新型コロナウイルスと共存しなければならない時代』ではないですよ!『コロナの時代』ですよ!言葉の綾で、決して悪意はなかったのかもしれませんが、何だか、人類が、コロナに征服されてしまうような、悲しい感じになってしまいました。


 『新型コロナウイルスと共存しなければならない時代』であれば、いつかは終わるとか、いつかはあまり意識しないで暮らせる日が来るような気がしますが、 『コロナの時代』 ですと、『恐竜の時代』から『人類の時代』になって、『コロナの時代』が来る(来た)ような感じがしませんか?(もちろん、コロナはウイルスですから、動物に寄生?しなければ、存続できないわけですが……)