僕は君たちに武器としての思考を配りたい
なんらかの絶対解や真実を求めようとすることは、誰かの決めた正解や、すでに役割を終えた古い意思決定に頼ってしまうという、もっとも危険な考え方、そして生き方につながります。自分の人生は自分で決めるという、困難ではあるけれど自由な生き方を望むのであれば、ディベートをはじめとするリベラルアーツは、あなたの大きな武器となるでしょう。人間を自由にするのが、学問本来の姿なのです。人間は弱い存在で、簡単に死んでしまうし、自然や社会の力によって簡単に潰されしまう。それでも人間が尊いのはおのおのが考える力を持っているからだ。
交渉では、相手の希望する条件をできるだけ汲みながら、こちらの希望する条件を実現するためにどうすればいいか、柔軟な発想をすることが求められます。そのためには、争点をすべて洗い出し、それぞれの重要度を決めて、相手にとって重要な争点と、自分にとって重要な争点を結びつけてみる。そしてそのうえで、自分にとって重要度は低いが、相手にとっては高い争点を譲歩したり、逆に自分にとって重要度は高いが、相手にとって低い争点を譲歩してもらえるように提案することで、お互いにとっての目的を達成できる道を探ってみることが必要なのです。
- 僕は君たちに武器を配りたい エッセンシャル版 (講談社文庫)
- 講談社
- 2013-11-15
- 本
成功した起業家に実際に話を聞いてみると、自分が長年興味と関心を抱いていた何かに、心から打ち込んでいるうちにたまたま現在につながっていった、というケースが多いのだ。この様に、社会に出てから本当に意味を持つのは、自らが動いて夢中になりながら手に入れた知識だけだ。自分の力でやったことだけが、本物の自分の武器になるのである。資本主義社会を生き行くための武器とは、現実の世界での厳しい課題を解決したり、ライバルといった敵を倒していくことで、初めて手に入るものなのだ。
- 君に友だちはいらない
- 講談社
- 本
グローバル経済は「少しでもよいものをより安く買いたい」という人類の欲望の総計として生み出されたもの。「よりよい商品をより安く」は、日本の御家芸だったが、新興国の生産管理が向上し、家電もパソコンも「コモディティ」となり、日本は地位を完全に奪われつつある。私たちはコモディティ化から逃れ、人間としてより豊かに幸福に生きる為にどうすればいいか?本書は様々な例を紹介し、今どうすればよい仲間と本当に機能するチームをつくることができるのか、解説している。友だちはいらない。必要なのは仲間を見つけ共に挑戦することなのだ。