現代とは、本質的に普遍的なものは何もないことが明らかになった時代であるにもかからわず、私たちは次々と新たな決定をするために普遍性を追求せざるを得ない。科学や論理は、仮定またはモデルに過ぎず、哲学はニヒリズムに陥らざるを得ないことが自明であるにもかかわらず、相変わらず私たち人間は、それに飽き足らず、真理を追究したいという衝動に駆られる存在である。絶対的な行動規範のない現代社会の中で、皆が合意して、皆の納得できるルールを作っていくしかない時代だということだ。
科学や論理、哲学や宗教を道具として真理を追究するのは構わないが、信じる人を利用するための道具にしてはいけない。真理を追究したいという欲求は、ニヒリズムに陥らざるを得ない事実に抗うための逃避なのだ。科学や論理、哲学や宗教を道具にしないためには、信じる側が客観的な試練を持つことが必要である。そして客観的な視点を得る唯一の方法は教育であるが、かつての日本のように政府が国民を利用しようとしている場合には、その教育すらも、社会を迷走させる。