ブッダに学び、解脱を目指す。

「ディフェンスラインを上げろ!」というタイトルから、「ブッダに学び、解脱を目指す。」というタイトルに変更しました。私の関心が、仕事から人生へと変わったからです。とは言っても、このブログのテーマは、仏教ではありません。自分が幸せになるために、他の人たちにも幸せになっていただくために、釈尊に始まる仏教の智慧、哲学のアプローチ、心理学の知識を学び、活用していきたいと思います。

猫にかまけて

猫にかまけて (講談社文庫)
猫にかまけて (講談社文庫)
講談社

 著者の町田 康(まちだ・こう)さんは、作家・パンク歌手。路上で野良猫に出会うと、野良猫をかまってしまい、仕事に遅れてしまうほどの猫好きだそうです。猫好きにはたまらない本です。猫とつきあう覚悟を築こうとしている人は、是非読んで欲しいと思います。2011-09-04 09:50:48


 我が家にDinahがやってきてから、猫について書かれた書物を読むようになりました。今回は、作家・パンク歌手という肩書?を持つ町田 康(まちだ・こう)氏が書いた「猫にかまけて」を紹介したいと思います。この本は、アマゾンの書評でも極めて評価が高く、帯にも「ベストセラー待望の文庫化。未発表写真も多数収録!」などと誇らしげに書いてあります。


 いつも 側にいた、 共に笑い、泣いた。愛する 猫たちとの暮らし、そして別れ。猫を愛する・・・大人の男として、胸を張って言うには、ちょっと恥ずかしい。


 でも、この本を読むと、大人の男でも、猫を愛する、共に笑い泣いた。と胸を張って宣言して良いんだ!を思えてきます。町田さんの思い、愛する猫たちへの接し方、その自然体には、猫を愛していることを宣言することに対する後ろめたさのようなものが全くありません。そして、むしろ、大人の男は、これぐらい優しくなくちゃと思えるのです。私は、考えます。「猫たちは、なぜ、私たちに愛されるのだろう・・・」と


 そして、「愛玩動物と言うにはあまりにも謎めいた彼らの行動が人の知を刺激するからではないだろうか?」推察いたしました。自分自身が生きるために、種を繋ぐために、彼らは現実を受け入れ、ひたむきに生きている・・・彼らは、人から餌を与えられていても、住まいを与えられていても、決して卑屈にならず、極めて高いブライドを持ち自立しているように見える。痛みや苦しみを感じても、悲鳴を上げることなく運命を受け入れる・・・そんな潔い彼らの生き方に触れると、人間の方が幼く小さな存在に感じます。


 我が家も、8月21日から野良猫を飼っているが、猫という動物は、摩訶不思議な動物で、観察していると飽きない。そして、彼らをそばに置くことで、生きものとして生き様を学びたくなるのです。


 著者の町田康さんは、作家・パンク歌手。路上で野良猫に出会うとかまってしまい仕事に遅れてしまうほどだそうです。たまには、二度と出会えない瞬間のために、仕事に遅れることがあっても良いのかもしれません。我が家も、2011年8月21日から野良猫を飼っています。猫は、摩訶不思議な動物で、観察していると飽きません。ひたすらに命を繋いで行こうとするしたたかな生き方を見ていると、つまらないプライドにこだわって、自我を貫こうとする自分が愚かに思えてきます。

翔太と猫のインサイトの夏休み


 「この本は中学生・高校生向きの哲学の本です。」とのことですが、既にオジサンになってしまった私にとっても、とても難しい理解しにくい内容です。本書は1995年12月25日に刊行されたとのことですが、後の1997年7月に刊行された「子供のための哲学対話」の方が、ずっと分かりやすい内容にです。


 この違いは、対象としている年齢の違いにもよりますが、翔太~の方が、読者自身が読者自身の疑問を読者自身で考えることを促しているのに対し、子供の~の方は、永井均さんなりの答えを明記しているという違いによるものだと思います。


 つまり、哲学的な問いは、その問いそのものの意味を共有することが難しいので、そこに何らかの答えが書かれていることで、ようやく問いの意味を共有するということが、できるからなのだと思います。

はじめにより

 哲学に関する予備知識などはまったく不要です。よくわからないところにあまりこだわる必要はありません。むしろ、自分にとってよくわかる問題を考えぬいてみてください。哲学に関しては、色々な学説を知るよりも、ひとつの問題を考えぬく方が遥かに大切です。


 哲学に限らず、自分の中に芽生えた疑問について、考えぬくという姿勢は、とても大切なのではないかと思います。何故ならば、他人の欲望を模倣するために奔走しても、決して幸せになれないような気がするからです。


 自分の中に芽生えた疑問は、往々にして哲学的な難問であり、私たちは、答えの出ない問題を前にして立ちすくみ、考えぬくことを放棄してしまいがちです。しかし、その難問を考える苦しみの中に、私たちが、自分の生をかける価値のあるテーマが隠されているのだと思うのです。

巻末の中島義道氏による解説 正確で清潔な言葉より


「哲学」とは、徹底的に思索し、厳密な言葉で語り続けるという積極的な営みなのであり、永井さんが本書で提案しているのはこのことだ。そして、これこそ多数の共感を呼ばず、永遠の負け戦であり、だから私にはとても潔く見えるのだ。


 この書の「はじめに」は次の文章で終わっている。哲学とは人生と世界に関する深い真理を教えてくれるものだ、というのも嘘ではないのですが、その真理に触れることができるのは、この遊び場でクタクタになるほど遊びほうけた後のことなのです。

自分を知るための哲学入門


 竹田青嗣さんの本は、以前にも「哲学とはなんだ(自分と社会を知る)」などを読んだことがあるのですが、この人の本は、全部読みたい。と思わせるような心地よさがありました。

 この「自分を知るための哲学入門」は、竹田青嗣さんと哲学との出会いのプロセスが書かれているのですが、このような内容は、その時の著者と似たような状況に置かれている読者にとって最も理解しやすいものです。

 哲学と言うと、古代から始まる哲学史を学ぶことだろ思っている方も少なくないと思いますが、竹田青嗣さんによると、哲学とは、①ものごとを自分で考える技術である。②困ったとき、苦しいときに役に立つ。③世界の何であるかを理解する方法ではなく、自分が何であるかを了解する方法である。とのことですが、苦しい時、自分が何であるかわからなくなってしまった時、この本を手に取ると、何らかの答えを見つけることができるかもしれません。121014

 哲学の定義なんて考えたこともない、哲学なんて自分の人生に役に立つはずがない。哲学を語るやつなんて胡散臭い。哲学なんてお金にならないじゃん。そんな風に思っている人ほど、最後に哲学が必要になりそうです。

上司は思いつきでものを言う


・世の中が複雑になって、部下に指示を出す場合にも、押さえなければならない情報も膨大になっているので、上司も思いつきでものを言えない状況になっているのでは?勉強している部下もいますからね。

 会社には、通常、平社員の上に、マネージャー、チーフマネージャー、執行役員、経営陣がいるわけですが、マネージャー、チーフマネージャー、執行役員は、経営陣の「思いつき?」を想定して「もの」を言わなければならないので、決して「自分の思いつき」で「もの」を言ったりできないのです。トップは、よく「エンパワーメント」をしている。などと強調していますが、管理職のミーティングに出席していない平社員からは、目的や戦略を明確に示さず、売上や利益などの数値的な目標だけを示し、逆に手段や戦術に干渉している見えます。

 よく、ビズネスの成否はトップ次第と言いますが、その核心は、目的意識にあると思います。ビジネスの目的は、利益であり、利益を生む組織の存続なのですが、利益を生み組織を存続させるためには、社会や顧客に評価される組織でなければなりません。社会や顧客に評価されるためには、組織が、その時代の地域の社会や顧客にとって、存在価値がある必要があり、そのためには、しっかりした理念が必要なのです。

哲学者の言葉 いま必要な60の知恵


 哲学者って、普通の人が疑問に思わないこと、当たり前だと思っていることに、疑問を感じる人達なんですね。しかも、それを誰に聞くわけでもなく、自分の頭で考え続ける。そんな特殊な活動が、名言を生むわけですね。

 哲学が手っ取り早くわかる方法はないか?と言う問いに、哲学者の思想を端的に表現した名言と、その思想内容をわかりやすく解説したものだそうです。しかし、哲学は「哲学史を学んだらわかる」というものではないのです。「哲学がわかる」には、古代から現代までの哲学者が闘ってきた、哲学の難問と言われる「問い」について疑問に思ったり、思考を駆使して答えをだそうとしたり、本を読んで学んだり、もがき苦しんだ経験が必要なのです。そのような経験がある人たちにとって、この本は、哲学史の目次としての存在価値があるのではないかと思います。

 現代社会は情報に溢れています。ググれば、私たちが疑問に思うことの殆どには、誰かが何らかの回答をしてくれます。だから、私たちは、だんだん自分のアタマを使って考えなくなってしまっているのではないかと思います。一方で、情報化社会は、様々なことがブラックボックス化します。答えはあっても、答えに至る過程は分かりにくくなっているのです。