ブッダに学び、解脱を目指す。

「ディフェンスラインを上げろ!」というタイトルから、「ブッダに学び、解脱を目指す。」というタイトルに変更しました。私の関心が、仕事から人生へと変わったからです。とは言っても、このブログのテーマは、仏教ではありません。自分が幸せになるために、他の人たちにも幸せになっていただくために、釈尊に始まる仏教の智慧、哲学のアプローチ、心理学の知識を学び、活用していきたいと思います。

仕事が10倍速くなるすごい!法

仕事が10倍速くなるすごい!法―――誰でもできるのに、なかなか「実行」されていない (知的生きかた文庫)
仕事が10倍速くなるすごい!法―――誰でもできるのに、なかなか「実行」されていない (知的生きかた文庫)
三笠書房
Digital Ebook Purchas


 経営者と同じ気持ちで仕事を見ていたらアイデアが出ないはずはない。目の前の在庫が売れなかったら期日までに支払いができない。どうすればいいか?という緊張感を知っていたら普段直面している問題なんて簡単。


 問題の本質、解決しなければならない課題の優先順位をつかんでいないと、適切なアイデアも出ないものです。誰だって自分の生活に根差したアイデアなら出せるんです。しかし、仕事となるとアイデアが出ない。それは、仕事が人ごとだからです。


 経営者と同じ気持ちで、仕事を見ていたら、アイデアが出ないはずはない。「目の前の在庫が売れなかったら、期日までに支払いができない。さて、どうすればいいか?」みたいな緊張感を知っていたら、普段直面している問題なんて、時間の猶予もあるし、簡単なはずなのです。


 確かにそうですよね。顧客は、専門家に、その道のスペシャリストで合って欲しいと願っているわけですけど、商品を開発しているひとや、サービスに携わっている人が、その道のスペシャリストとは限らないことが少なくないです。スペシャリストでなければ、アマチュアを超えるアイデアなど出るはずがないですよね。顧客を満足させるために、先ず、自分が満足するアイデアを出して行こう!

失敗を生かす仕事術


 本文より・・・

本当の意味で未来への不安に打ち勝つためには、やはり自分をおびやかしているものの正体をしっかり見極めることから始めなければなりません。正体がわかれば、対処の方法も生まれてくるはずです。

・・・

 私たちは、不安を感じながらも、不安の原因を直視することができない。試験の直前に部屋の片づけをはじめてしまうように、本当に対峙しなければならない問題を先送りし、些細な日常に埋没しようとする。そうすることで、不安の原因は積み重なって何処から手を付けたらよいか分からなくなってしまう。
 確かに失敗を真摯に受け止め、活かしていくことは苦しい、しかし失敗の種を撒き、刈り取れない程伸びてしまうほど放置するように、問題を先送りする方が、もっと苦しいことは言うまでもない。

出版で夢をつかむ方法

出版で夢をつかむ方法
出版で夢をつかむ方法
中経出版
吉江勝

第1章 本田健氏との対談

 僕の本は読んだ人全員に、何らかの気づき、勇気や喜びを与えられるものにしたいと思って、祈りをこめて書いています。また、どんな立場の人が読んでも傷つかない文章を目指しています。心から相手のことを大切に思い、いつも自分の中から光を投げかければネガティブな意見も生まれにくいものだと思います。原稿を書くときに、愛する誰か特定の人にメッセージを送るようにするんです。大切な人を思って文章を書けば、そこに愛がたくさんこめられるはずです。

 2013-12-22に書いた書評には、前述の通り、この本の意図とは全く関係ないことが書かれていて、運よくどなたかに読んでいただくことがあったとしても、何も得るものが無い内容になってしまっていました。まあ、その後、5年の歳月が流れてしまったわけですが、電車の中で車内を見渡してみても、私のように本を開いている人は稀で、漫画を読んでいる人でさえ、スマフォを使っている状況ですから、紙の本を出版することで夢を掴もうとしているとしたら、時すでに遅し…なのかもしれませんね。


 とは言っても、まだまだテキストで情報を交換することの利便性は残っている状況なので、文章から情報を読む力、文章に情報を込める力は必要だと思います。

人生を変える勇気 - 踏み出せない時のアドラー心理学


 この本で岸見一郎先生は「すべての悩みは対人関係の悩みであり、神経症も心の問題ではなく、対人関係の問題だと考えます」として、対人関係の改善に努めることを提案しています。
 
 人は、生きるために働いているのであって、働くために生きているのではありません。働くことは人生の課題の一つではあっても、働くことだけが人生ではありません…他の人がどう思おうと、一番大切なことは、自分の人生を生きること…自分が仕事で貢献していると思えたら、上司や同僚から認めてほしいという意味での承認欲求は消えます。

 依存していれば、他者のに認められようとするために生きることになりますから、自分の人生を生きられないことになってしまいます。自分の仕事の価値はいかなる評価、承認に先行して、まずは自分で認めるものです。

 「本物の芸術家であれば、他者の評価で一喜一憂するようなことはありませんし、誰かに認められるために、絵を描いたり、作曲したしたりはしません。たとえ誰からも認められなくても、自分の作品に価値があることを知っているはずです。他者からの商品は、必要ではないということです」他の仕事でもきっと同じです。

唯幻論物語

唯幻論物語 (文春新書)
唯幻論物語 (文春新書)
文藝春秋

 放漫さは卑屈さに対する反動形成であり、卑屈な者のみが放漫になる。放漫な者が放漫であり得るのは、相手が卑屈であり得ることを前提としており、そのことが予想できるのは、自分の化に卑屈な面があるからである。

《子が親から受ける被害には、欺瞞による主として精神的な虐待がある。親は、自分の目的のために子を必要としているのであるが、そのことを自分にも子にもかくして、自分は子を愛し、子のために尽くしていると思っている。


 放漫さは卑屈さに対する反動形成であり、卑屈な者のみが放漫になるのである。放漫な者が放漫であり得るのは、相手が卑屈であり得ることを前提としており、そのことが予想できるのは、自分の化に卑屈な面があるからである。放漫な者は自分に卑屈に屈従してくるものを必要としており、必要としていながら彼をやけに軽蔑するが、それは自分の卑屈な面への自己軽蔑を逸らしているのである。自分の中に卑屈な面がない者は、相手が卑屈になる可能性を思いつかないので、自分が放漫になることも思いつかないのである。》

 ちょっと(かなり?)古いドラマや映画だと、親(たいがいおやじ)が、子どもに向かって「誰のおかげで飯が食えると思っているんだ!」と怒鳴っていたり、母親が「あなたのためを思って…」などと涙ぐんだりしているシーンがあるが、冷静になって考えると、子どもの側には「あなたたちのもとにだけは生まれてきたくなかった…」と反論することもできないわけではない…


 一方「卑屈な者のみが放漫になる」という言葉は、強い戒めになると同時に、そう言う考えを持って世界を眺めると、卑屈な私も、更に放漫になれるかもしれないと思った。