ディフェンスラインを上げろ! @ 作業興奮だ!

ディフェンスラインを上げろ!というタイトルですが、このブログのテーマは、サッカーではありません。私がディフェンスラインを上げろ!と言っているのは、個人や組織の能力の底上げを意味しています。天才ならともかく、凡人は、特定の能力を高めるよりも、汎用性の高い能力の底上げが大切です。この考え方は、私たち一人ひとりの人生にも、組織の運営にも、必要な意識をもたらすものだと信じています。

40代以上のビジネスマンが考えるべきは(・・?

40歳を過ぎたら、定時に帰りなさい (PHPビジネス新書)
40歳を過ぎたら、定時に帰りなさい (PHPビジネス新書)
PHP研究所

《40代以上のビジネスマンが考えるべきは、いかに会社で息を潜め、”外の世界を切り拓くか”である。ストレスがかからない仕事を選び、健康な身体を保ちながら、趣味やサイドビジネスに全力を注ぐ。》と導く内容ですが、そんな本の中にも《何かの分野で成功し続けている人は、やはり生活意欲が高く、好奇心が強い。》という文章を発見しては、蛍光ペンで印をつける自分がいて笑えます。組織が大きいと、必然的に一人ひとりの影響力が小さくなって、誰かが精一杯力を発揮したとしても、帳消しになってしまうこともありますので、工夫が必要ですね。


 一つ前に読んだ“「あなた」という商品を高く売る方法”もそうでしたが、好きなことじゃないと、のめり込めないし、継続できないから、好きなことで差別化を図りなさい、というような言葉もありました。私たちは、好きなことなら時がたつことも忘れて集中できる。取り急ぎ、もうやりたくない。と思えるまで熱中すれば、何かが見えてくる可能性が…?


《仕事ができない部下は、いくら懇切丁寧に指導してもできるようにならない…叱咤激励するなど息のムダ遣いである。》確かに、もはや相手を変えようとするどころか、自分が変わる力すら残っていないかも…


 私にとって「ストレスのかかる仕事」は、自分が知らないことを「知ってて当然だろう」という勢いで訊かれ、しかもそれを即、回答しなければならないような状況に追い込まれることなのですが、ストレスがかかるか(強いか)、ストレスがかからないか(弱いか)の境目は、自分にとってストレスのかかる仕事を冷静に受け止められるか、受け止められないかにかかっているような気がします。知らないこと、早く(速く)応えられないのは、恥じゃない、冷静に受け止めればよいはずです。


 分析したなんて偉そうなことではないのですが、自分が一番イライラする時って、ある意味、無能であることを自覚した時、自分の頭の悪さに腹を立てているような気がしました。まあ、私に仕事を頼む側にも少しは責任があるとも思います。依頼はできるだけ明確に!


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自分と向き合う心理学

自分と向き合う心理学-意志心理学入門

自分と向き合う心理学-意志心理学入門 (ディスカヴァー携書)
自分と向き合う心理学-意志心理学入門 (ディスカヴァー携書)
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2007-08-18

田嶋清一

・性癖を自分が選び取っていると気づくことが、ゆとりを生み、自分のありかたを選び直すことを可能とする。パターン化したありかたから新たなありかたへ向けて「何らかの動き」をつくりだすことができるのです。


 従来主流だった「力動的な考え方」では、フラストレーションは「たまったり、爆発したり」するので、何らかの手段で「解消する」必要がある、というものであったのに対し、本書の「非力動的な考え方」では、フラストレーションとは「自分の立てた見通しが外れていること」とし、私たちはありがたを自分で選び取っている。とのこと。


 W・ジェームス(アメリカの心理学者)は「私たちには、苦しみ(都合の悪い現実)に向き合うことを避けようとする傾向があるが、この傾向から自由であるためには、苦しみに向き合う意思の力が必要」とのことです。じゃあ具体的にどうすればいいの?と思うわけですが「パターン化したありかたを選び取っていると気づき、身につけるに至った自分を温かく見守ることが、ありかたを選び直すことを可能とする」とのことです。


 『自分と向き合う心理学・意志心理学入門』なんてタイトルだと、ついつい買ってしまうのですが、正直に言うと分かりにくかった…


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自由とは、気持ちよく過ごせる時間の最大化

自由のこれから (ベスト新書)
自由のこれから (ベスト新書)
ベストセラーズ

 『私とは何か――「個人」から「分人」へ』を読んだ時にも感じたことですが、改めて平野さんは凄い人だと思いました。私の感想は「この人、本当に小説家なの?人文科学系の学者かと思った。」というものでした。私が中々腑に落とすことができないでいた構造主義についての疑問に「分人」という言葉でヒントを与えてくれました。


 『私とは何か』は、私の人生の軌道を修正してくれた本の一つに入れたいほど良かったのですが、この『自由のこれから』も、現代社会を一刀両断にする中々切れ味のよい刀のような本です。著名な社会学者たちも、同じようなことを言っているのかもしれませんが、それを、私のような勉強不足のオジサンにも、分かりやすい事例(ある意味、如実に現象が現れている分野なのかもしれませんが…)で示してくれています。


 技術の発達は、選択肢は少なかったけど、選択は自由だった時代から、選択肢は無数にあるけど、損得で考えるとレコメンドに逆らえず、選択が制限される時代への変遷なのでしょうか(・・? 行きたい国、見たい映画、読みたい本、私たちは、自由に選択できるはずなんですけど、それを楽しむ時間は十分じゃないという不自由さを感じる時代を生きているのかもしれませんね。


 自分の意思で自由に選んでいるような気になっていても、ネットのレコメンドによって選ばさているとしたら、それは、人と同じようにしたいという欲求に駆られている、というよりも、損をしたくない、賢い選択をしたい、という恐れが動機かもしれませんね。


 経済成長に伴って比較的自由になったかのように見えた私たちの生活ですが、経済成長に限界が見えるようになったことによって、生きるための選択肢が狭まるような状況になっているのでしょうね。


 私たちは、レコメンド機能の助けを借りて買い物をするようになる前から、ジャックラカンが指摘していたように、他者の欲望を欲望し続けてきたのではないだろうか。ただそのような傾向が、情報化社会になって更に加速していることは間違いない。構造主義の心理学者、哲学者、思想家たちの先見の明は、恐るべきものです。


 この『自由のこれから』では、人類が一度は獲得したかのように見えた自由が、新自由主義の元、レコメンドという"仮想的な自由”によって束縛を強めているのではないか?という新たな問いを生む機会を作ってくれました。この本の中で、特に好きなのは、慶大法学部教授である大屋雄裕さんとの対談では、教授の見解「満足」を引き出しています。


 大屋雄裕さんが、ご自身の幸福感を「満足~自分が決めたという意識が必要だろうし、自分で考えて決めてそれが充足できたか、できなかったけど、俺はやるだけのことをやったとできる納得できることが重要です。」仰っているところです。私は、どのような内容の本であろうとも(たとえ小説であっても)、著者が問わずにはいられない問いと、その問いに対する自身で導き出した答えが醸し出されないと価値が低いと思います。


 首相や大統領、大企業の代表じゃなくたって、中小企業の社長、お父さんだって、自分が率いるコミュニティの隅々まで把握することは難しいし、集団の総意をまとめるのは大変ですよね。ある意味、個々の「全体最適を目指そうとする善や徳」に任せなければならないわけです。でも、みんな自分が可愛くて、システムにコッソリ無意識を埋め込むんですよね。


 平野啓一郎さんは、「社会のあらゆる分野で、テクノロジーの進歩の速さに、人文科学系・社会科学系の議論がまった追いつかなくなっている」「自分の70~80年の人生をどう設計していくかを考えようにも、変数が多すぎて、なかなか考えがまとまらない」「一生をかけて全うする一つの職業が"本当の自分"を象徴するという自己実現モデルから、自身のアイデンティティを、複数の仕事(収入源)といった多数の関係性の集合として捉え直さなけれなならない」といいます。


 平野啓一郎さんは、はじめにで、「分人主義の視点からは、人間の自由とは、自分の分人の構成とその比率をコントロールし得ることだと言えるだろう。」としていますが、対人関係以外も視野に言えると、自由とは、やはり「自分が楽しく気持ちよく過ごせる時間の最大化」ということが言えるのではないでしょうか?もちろん、気持ちよく過ごすためには、他者との関係を良好に保つことによって得られる承認が欠かせない要素になると思います。


 幸せとはどのような状態なのだろうと考えた時、私が出した一つの答えは、自分の意思で自分の行動を選択できること、つまり「自由」ということでした。私は「自由」を獲得するために、賢明に生きていきたいと思ったわけですが、「自由」を獲得するためには、一旦「不自由」な状態に甘んじなければならないことが多い、とも感じています。一体どうしたら…


無思想の発見

無思想の発見 (ちくま新書)
無思想の発見 (ちくま新書)
筑摩書房

<思想は隠せない> 出力は行動だから、これは外部的に観察できる。
ゆえにその人にとっての現実は、多くの場合、観察可能である。
つまり客観性を持つ。たいていの場合には、「やることを見ていりゃ、
何を考えているのかわかる」。


皆さんは、ジョハリの窓をご存じだろうか?
自分自身が知っていて、周囲の人が知っている自分=明るい窓
自分自身が知っていて、周囲の人が知らない自分=隠された窓
自分自身が知らなくて、周囲の人が知っている自分=盲目の窓
自分自身が知らなくて、周囲の人が知らない自分=未知の窓


自分自身が知っている自分は良いとして、問題は自分が知らない自分である。
ここに、自分も意識していない自分の思想が現れてしまうということである。


養老孟司さんの本は、いつでも知らない世界に連れて行ってくれる。
新しい視点を提示して、本を読んでいる自分自身の内面の見え方すら
違って見えてしまう。この本も、自分自身が知らない自分に出会う
勇気がある人におススメしたい一冊である。
上手く行けば、自分の将来に希望が持てる可能性がある。


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自分も「教科書が読めない子供たちさぁ~♪」と思った?

 『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』を読んで、私は(子どもではなく、老人になりつつあるオジサンですが)、自分の読解力が「AIや教科書が読めない子どもたち」並みであることに気付いてしまいました。

AI vs. 教科書が読めない子どもたち
AI vs. 教科書が読めない子どもたち
東洋経済新報社

 そんな時、BOOKOFFで見つけたのがこの「わかったつもり」。曲がりなりにも、文章を書くことが生業なので、危機感を募らせています。早飲み込みという悪い癖を克服するためにも、自分の実力を客観的に把握した上で、必要な施策・方策を打っていきたいと思いカゴに入れました。

「読む」技術 速読・精読・味読の力をつける (光文社新書)
「読む」技術 速読・精読・味読の力をつける (光文社新書)
光文社

 わかるということは、具体的な指示がわかる、ということではなくて、コンテクストも含めて、抽象的にわかる、ということなのではないかと思います。そのためには、そこに書かれているすべての言葉と文章の両方から理解するということが必要なのだと思います。


 私たちが文章を読む時、その文章が示唆する「何の話(文脈)」から、「スキーマ(私たちの中に既に存在しているひとまとまりの知識)」を発動して、わかろうとするわけです。つまり、私たち一人ひとりが持っている「スキーマ」の違いによって、わかりかたが違ってくるわけです。私たちは、同じ情報を与えられれば、知ることは同じだと思いがちですが、知ることは、人それぞれ違うのです。


 きちんと体系的に書かれているので、まどろっこしく感じましたところもありましたが、読み終える頃には「矛盾」や「無関連」を克服し「わかったつもり」から「よりよくわかる」段階に到達できたのではないかと思います。私のように、自分も「教科書が読めない子供たちさぁ~♪」と思った人は、迷わず手に入れてほしい。目から鱗が落ちることは請け合いです。

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