ブッダに学び、解脱を目指す。

「ディフェンスラインを上げろ!」というタイトルから、「ブッダに学び、解脱を目指す。」というタイトルに変更しました。私の関心が、仕事から人生へと変わったからです。とは言っても、このブログのテーマは、仏教ではありません。自分が幸せになるために、他の人たちにも幸せになっていただくために、釈尊に始まる仏教の智慧、哲学のアプローチ、心理学の知識を学び、活用していきたいと思います。

大事なことは3つにまとめなさい!


 斎藤孝先生は、3つというマジックナンバーを3脚に例えていますが、3本以上あると、逆に不安定になるということなのかな?

『大事なことは3つにまとめなさい!』なんて、どこかで(何度も)聞いたことのあるようなタイトルで、斎藤孝先生に似つかわしくないと思ったら、その内容は「ノートを活用することの効能・効果」に関するものでした。

 要するに、頭の中で考えているだけでは、自分の思考を客観的に観ることができないので、ノートに書き出して見える化しよう!ということと、ノートに書き出すことで体系化し、他の誰かに教えられるようなメソッドに仕上げよう!ということだと思いました。膨大な情報を3つにまとめることで、逆に抜け漏れを無くすということが狙い!

 斎藤孝先生が仰っていることの中で、大切だと思うことは「個々の主観を統合した客観性(間主観性)を把握した上で、と自分の主観を主張する」ということ。政治、経済、社会・文化、テクノロジーを把握した上で、バランスの取れた意見を持てることが大切ですね。

 斎藤孝先生が仰っていることの中で、大切だと思うこと(その2)は、ノートを活用することで、自分自身についても客観的になれるので、自己肯定力が上がる。ということです。どんな状況でも、自己肯定力があれば、乗り切れる?

「テレワーク」と「リモートワーク」の違いとは?

「テレワーク」の「テレ」は、「テレフォン」を略したわけではなく、どうやら「テレ」は、そもそも「離れた、遠い」というで、「フォン」は、音の大きさのレベルを表わす単位ということみたいですね……。あぁ~恥ずかしい……。


 一方、「リモートワーク」の「リモート」は、「remote=遠隔・遠い」という意味みたいですね。私は、「リモート」「リモートコントロール」の略だとばっかり思っていて、しかも「リモートコントロール」は、鉄人28号のように、誰かに操縦されるようなイメージがあったものですから、とても嫌な印象を持っていたのですが、本来は、「遠くで働く」ということなので、その意味は「テレワーク」とほとんど同じなんですって……。


 さて、私は、2020年3月30日から、在宅勤務〔テレ(リモート)ワーク〕しています。前にも同じことを書いたかもしれないので、繰り返しになりますが、テレワークになると、基本的なビジネススキルを持っているかどうかが如実に現れますね。


 E-mailを使って、誰かに仕事を依頼する時、5W1Hを正確に伝えなければなりません。誰に(Who)、何をどうして欲しいのか(What)、どこに(Where)、いつまでに(When)、何のために(Why)、どのように(How)。その際に、優先順位を上げてもらうためには、何のために(Why)が、とても大事です。


 基本的なことですが、これができていないと、E-mailのやり取りを何度も繰り返さなければならなくなりますが、リアルタイムでコミュニケーションしているわけではないので、タイムラグが大きくなってしまいます。だからと言って、在宅で電話を受け、仕事の話をするもは、ちょっとしんどいし、Web Meetingも、都合があまり良くない時間でも、拘束されるので、ストレスが高まります。


 皆さん、これを機会に自分のビジネススキルを基本から見直し、足らないところをトレーニングしましょう(^^♪


テレワークで新型コロナショックを乗り切る!
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生きていくことの意味 トランスパーソナル心理学

生きていくことの意味―トランスパーソナル心理学・9つのヒント (PHP新書)
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 人間関係のもつれやトラブルを引き起こしているのは、私たちが「困った人」と思っているその相手本人というより、「私たちが認めたくない、私達の一部」であることが多い。つまり人間関係の問題は、私たちの心の「影」となっている「もう一人の自分」の仕業であるのだ。


「困った人」との出会いは、私たちに、私たち自身の影の部分「もう一人の私」に気づくよう、促し、「困った人」の存在も、そこから何か大切なことを学んでいける「気づきのチャンス」「学びの機会」に転じていくことができる。


 人生の幸・不幸を決めるもの。それは、人生で起きるさまざまな出来事をその人がどう受け止めるか、その出来事から何を学びどんな気づきやメッセージを得ていくか、それ次第である。そして実際、”この人生で起こることは、どんなことにも、意味がある”。私たちに何か、大切なことを教えてくれている。


 私たちは、悩みや問題に苦しめられている”犠牲者”の立場から抜け出し、“悩みや問題の側”に立って今の自分を見つめることができるなら、そしてその悩みや問題の持つ隠れたメッセージに気づくことができるなら、人生はかつてなかったほどイキイキと充実してくることがある。


 自分や自分の幸福について思い煩うのをやめる。そして、“この人生で自分が果たすべき何か”にただひたすら取り組んでいく。そんな生き方をしていれば、自分はこの人生で”なすべき時に、なすべき所で、なすべき事をしている”という”生きる意味の感覚”は満ち溢れてきて、その結果、真の幸福、真の自己実現もおのずと手に入るようになる。120310

いまはダメでも、きっとうまくいく。

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 ピンチに陥ったときに、あまり生まじめに対応するとかえって結果は悪くなる。まじめな人ほど強いストレスを感じやすく、ろくなことが起きないからだ。「さあ、克服する経験を味わわせてもらいましょう」と自分に言い聞かせて、とにかくよい想像に切り替える事である。そうすると勇気がもりもり湧いてくる。つらさも時間が解決してくれる。どんなピンチも絶対に切り抜けられる。その人に解決できない問題はやってこないのである。

 最近、時々感じるコト……。
 自分のピンチを相談すると……。「こうすればいいじゃん」と軽い回答。
 相手のピンチを自分が考えると。「こうすればいいじゃん」と視点が変わる。
 ピンチをピンチとして重く感じてしまうのは、視点が固定しているから……。
 視点をずらして、他の角度から見ると、それほど重篤ではないことが多い…。


 自分が守っているものを「守りきらないと」と思うと苦しい。
 守りきれないけれども、寝るところがなくなったり、ごはんが食べられなくなったり
 かなり厳しい事態に陥らないように持ちこたえることができれば、そこからなんとか
 活路を見出すことができるのでなないだろうか?
 自分だけで抱え込まず、誰かと一緒に苦しみを分け合って……。


 そうそう、結婚式の誓いではありませんが「健やかなるときも病めるときも、
 富めるときも貧しいときも、愛し、敬い、いつくしむことを誓いますか?」

座右の諭吉 才能より決断

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・他者から何かを期待される人間は、知識や教養といった蜜壺をため込んでいる人なのだ。ミツバチが花の蜜を巣にためるイメージだ。その花にあたるのが本だ。たくさんの花の間を飛び回るほど、蜜壺は大きくなる。

『福翁自伝』には、福沢の人生訓や、転機からチャンスをつかんだときのエピソード、いわゆる「生きる指針」が詰まっている。本書ではその『福翁自伝』をはじめ、彼のいくつかの著書をテキストとして、私たちがいま福沢の生き方から何を学べるかをクリアにしていく。

 齋藤さんは、こう分析する。やろうと思ったことはすぐに行動に移す。その積極的な決断が、福沢を常に勝ち組にいさせたのだ。また、福沢は、実際にどうかつようするかという観点を持って臨まなければ学問も意味がないと、学び続けていることを自らのよりどころにしていたと。

 何が福沢の「自分は自分だ」というアイデンティティを支えていたのか。ずばり“学び続けている自分への自負”である。多くを学び続けることで、他に寄りかからない個としての人格を保つ。それは本当の独立なのだという揺るぎない信念が、実に福沢らしい。福沢は、学び続けていることを自らのよりどころにしていた。

 社会人になってからの人間関係は、人から期待されないと増えて行かない。人に強く求められる人間ほど、人間関係が広がっていく。自分が必要とされている人間になることが社会人としての人間関係のポイントとなる。

 他者から何かを期待される人間、要求される人間というには、大いなる知識や教養といった蜜壺をたっぷりため込んでいる人なのだ。見識がある。知識がある。それは十分、人格的な魅力になる。ミツバチがいろんな花に蜜を取りに行っては戻ってきて巣にためるイメージを考えて欲しい。

 その花にあたるのが本だ。何百何千とたくさんの花の間を飛び回るほど、蜜壺は大きくなる。