ディフェンスラインを上げろ! @ 作業興奮だ!

ディフェンスラインを上げろ!というタイトルですが、このブログのテーマは、サッカーではありません。私がディフェンスラインを上げろ!と言っているのは、個人や組織の能力の底上げを意味しています。天才ならともかく、凡人は、特定の能力を高めるよりも、汎用性の高い能力の底上げが大切です。この考え方は、私たち一人ひとりの人生にも、組織の運営にも、必要な意識をもたらすものだと信じています。

主人公

さだまさしさんの歌には、素晴らしい詩が多いのですけれども、
今日、取り上げたいのは、『主人公』という歌の一節
「あなたは 教えてくれた 小さな物語でも 自分の人生の中では 
 誰もみな主人公 時折思い出の中で あなたは支えてください
 私の人生の中では 私が主人公だとぉ~♪


さだまさしさんが、私たちに伝えたかった話とは違いますが、
私たちは、世界をそれそれの五感で感じ、それぞれの意識で
認識するしかありません。ですから、世の中に客観的な事実は、
ありません。多くの方が感じ、主観的に認識したことを集めて、
客観的な事実だとしているだけです。


天動説だって、多くの方が信じていた時代では、客観的な事実と
思われていたわけです。


私たちは、それぞれの小さな物語の中では主人公ですが、
相手の小さな物語の中では、脇役です。もちろん脇役の中には、
主人公の成長譚に影響する助演男優賞(女優賞)に値するような
重要な役割もありますし、エキストラのような役もあるでしょう。


きっと、相手の物語の中で、助演男優賞(助演女優賞)を取れる
そんな俳優さんが、自分の物語というカメラから見た時も、
良い演技をしていて、多くの観客を感動させ、観客の行動を
変容させることができるのではないかと思います。


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未来を拓く

人は、未来が閉ざされたと感じた時、希望を失うのではないでしょうか?
若い頃は、希望を持って突き進んでいる者も、ただ何となく生きている者も、
誰もが、明確な未来が見えないものです。しかし、人生の曲がり角を越えると、
次第に自分の未来が見え、可能性が閉じて行くことを認識することがあるのです。


そんな未来が見えなくなった時、うずくまってしまう人もいるでしょう。
目先のことに集中して、見えないという事実から目を逸らす人もいるでしょう。
目を逸らす人よりも、どちらかというと、うずくまってしまう人の方が問題です。
誰もがいずれ迎える日に向かって、一人残らず進まなければならないからです。


自分の未来を自分で閉ざしてしまうことも、その人の自由なのかもしれません。
しかし、幸い日本では、様々な選択肢を選ぶ余地が残されているのです。
今まで自分がこだわって来た何か、その何か以外にも、未来が閉じて行くことを
忘れるほど、自分を突き動かしてくれることがあるかもしれません。


今まで自分が必要としていた何か、その何か以外にも、もっと自分が求めていた
モノやコト、そして人が現れるかもしれません。承認されたいという欲求から
解放され、自分を自分自身で認めてあげられるようになることで、未来を拓く
ことができるのです。閉ざされたように見えた、未来が開けて行くのです。


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しくじり先生

2016年8月29日の「しくじり先生」に、下ネタと詩吟を融合した
「エロ詩吟」(・・? ネタで大ブレイクした天津木村が登場。


〔2008年「エロ詩吟」ネタが注目を浴び、以降「消えた芸人」になった、
 天津木村が、安易に下ネタに手を出したために(過激なネタに
 走りすぎたせいで女性やファミリー層から嫌われてしまい、仕事が
 激減してしまったしくじり先生)として教壇に立つ。〕


自分(が受ける)のことしか考えていなかった天津木村が、
そのような生き方の代償を思い知ったことを語ったわけですが、
自分のことしか考えず行動してしまう、ということは、
大なり小なり、誰にでもあることですよね。


でも、そんな時、私たちは、陰で傷ついている、陰で私たちを
支えてくれている、人たちのことを忘れてしまいがちです。
陰で私たちを支えてくれている人たちは、私たちが幸せなら
それでいい、と犠牲的な気持ちで耐えてくれているのかも…


私たちは、自分と他人の違いに気が付きにくいものですけれども、
愛される人たちは、常に自分のことだけではなく、自分を支えて
くれている人たちの献身に気が付き、感謝できる人なのかも…
その違いに気が付ける人になりたいものですね。


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ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

堀江貴文さんが刑を受けている間に1000冊の本を読み、
書いた『ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく』
その中に「働いていれば、ひとりにならずにすむ。誰かとつながり、
社会とつながることができる。自分が生きていることを実感し
人としての尊厳を取り戻すことができる。」という言葉がある。


仕事の意味は、色々あるだろう。生きるための糧を得るためにから、
自己実現をするためにまで、様々な理由があるだろう。
でも、本当の意味は、堀江さんのこの言葉に集約されている。
人類は、生きるために、働いてきた。身体はもちろん、心を
支えるために、誰かと繋がるために、尊厳を取り戻すために。


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ディフェンスラインを上げろ!

私は、ことし58歳になりました。
定年まで、後2年しかなくなりました。
そんな焦りを感じる一方で、徐々に意欲を失いつつある自分を感じます。


この歳になって、遅ればせながら気が付いたことがあります。私たちが、
何故勉強しなければならないか、経験を積まなければならないかについてです。


人が、何か始めようとするとき、自分がやりたい!という気持ちが大切です。
しかし、それだけでは中々始めることは出来ません。
そこには、やらなければならない!という緊迫感と、誰かの期待が必要です。
そうです。何かを始める時は、その人に、それをやり遂げられるという
可能性が必要なのです。


その可能性を培うのが、勉強や経験です。何かをやりたくなったとき、
それを始めるためには、それを始められるだけの基礎が必要なのです。


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