ブッダに学び、解脱を目指す。

「ディフェンスラインを上げろ!」というタイトルから、「ブッダに学び、解脱を目指す。」というタイトルに変更しました。私の関心が、仕事から人生へと変わったからです。とは言っても、このブログのテーマは、仏教ではありません。自分が幸せになるために、他の人たちにも幸せになっていただくために、釈尊に始まる仏教の智慧、哲学のアプローチ、心理学の知識を学び、活用していきたいと思います。

20歳のときに知っておきたかったこと

20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義
20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義
CCCメディアハウス

・あなたが独自の価値を創造できるのなら、あなたに肩書など必要ないでしょう。しかし、あなたに付加価値がないのなら、ゼロサム・ゲームに突入します。

いまある資源をつかって、問題を解決する独創的な方法は、つねに存在する。起業家とは、チャンスになりそうな問題を、たえず探していて、限られた資源を使う独創的な方法を見出し、問題を解決し、目標を達成する人を指します。困難だと思ったことが、じつはチャンスなのだと…

 起業家とは、問題を発見するだけでなく、それを解決するのは自分だと思う人なのでしょうね。

 問題は数をこなすほど、自信をもって解決できるようになります。そして、楽に解決できるようになると、問題が問題ではなくチャンスだと気づくのです。…

 問題は避けて通ろうとしては駄目なんですね。問題には真っ直ぐに立ち向かわないと…問題を解決することは、問題を解決したという成果が残るだけでなく、問題を解決するスキルとして自分自身をレベルアップしてくれるわけです。

 何もしないのと、何かをするという二つの選択肢を切り替えるのは、ほんの小さなスイッチですが、選択の結果は大きく違ってくる…

 問題を発見した時、つねに何かをするという選択肢を選ぶことによって、大きく違う結果を掴めるようになりたいと思います。競争が好きなのと、目的達成の意欲が強いのとでは、大きな違いがあります。競争好きとは、ゼロサム・ゲームのなかで誰かの犠牲と引き換えに成功することを意味します。これに対し、目的達成の意欲が強い人は、自分自身の情熱を掻き立てて事を起こすのです。
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 私たちが参加しているビジネスが、本当に独自のものであるならば、それは社会に大きく貢献し、ゼロサム・ゲームに陥ることはありません。また、独自とまで行かないでも、既存の商品やサービスに対して何らかの付加価値があるものであれば、競争相手に勝とうとするよりも、お客様に喜んでいただけるように商品価値やサービスの向上に努めるだけで業績も上がって行くはずです。しかし、商品やサービスに何の付加価値もないのなら、限られた市場を取り合うゼロサム・ゲームに突入してしまいます。


 会社の中でも一緒です。あなたが独自の価値を創造できるのなら、あなたに肩書など必要ないでしょう。しかし、あなたに付加価値がないのなら、ゼロサム・ゲームに突入します。しかし、実は、ゼロサム・ゲームに勝ち続けられる会社も、個人もいないのです。

モノの買い方、使い方。

モノを買う時は、そのモノの金額に見合った範囲で、可能な限り詳しく
調べてから買いましょう。安いものは、衝動で買ってもよいかもしれませんが、
あなたにとって高いものは、評判を調べてから買いましょう。
それが、リスクを減らし、最大のリターンを得る方法です。


そして買ったモノに取扱説明書が付いている場合には、そのモノの金額に
見合った範囲で可能なかぎり読みましょう。安いものは、いきなり使っても
良いのですが、あなたにとって高いものは、手順を調べてから使いましょう。
それが、リスクを減らし、最大のリターンを得る方法です。


買ったモノに付属していたものは、包装を含めて、そのモノの金額に
見合った期間保管しておきましょう。安いものは、すぐ捨ててしまっても
良いけれど、あなたにとって高いものは、最低1ヵ月は、取っておきましょう。
それが、リスクを減らし、最大のリターンを得る方法です。


買ったモノを、取扱説明書の指示通り使っても、上手くいかない場合があります。
そんな時は、上手くいかない事象を可能な限り詳しく紙に書いたり、E-mailを
使って販売店や製造元に問い合わせをしましょう。5W1Hを明確にした上で、
その時に、あなたの要求を言います。


モノが正しく機能しない場合でも、怒りを露にするのは、得策ではありません。
製造元に問い合わせをする場合には、他に同じような事象は無いか?と聞きましょう。
予め、インターネットで他のお客様がアップしている意見を集めておくことも有効です。
それが、リスクを減らし、最大のリターンを得る方法です。

のんびり暮らすために、忙しく働いている…。

正確には覚えていないが、どこか南の島での話だったかな?
都会の人が、現地の人に「なぜ働かないのか」と問う。
現地の人は「なぜ、働かなければならないのか」と問う。
都会の人は「いずれのんびり暮らすためさ」と応える。
現地の人は「もうのんびり暮らしている」と応えた。という話……。


私たちは、何のために働いているのだろう。
もしかしたら、あまり考えたことがないのかもしれない。
たまたま入った会社で、促されるままに働いている。
中には、組織の中で出世しようと頑張っている人もいるかもしれない。


親から引き継いだ事業を続けている人もいるかもしれない。
引き継いだ伝統を厳格にまもろうとしている人もいるだろうし、
引き継いだ資産を他の事業に投資しようとしている人もいるだろう。
中には、事業が傾いてしまって、事業と雇用を守るために、
私財を抵当に入れてまで頑張っている経営者もいるだろう。


私たちが抱えている義務「責任」は、何ですか?
その義務に対する見返り「権利」は何ですか?
取らなくてもいい責任、放棄してもいい責任をまもるために、
命を粗末にしないでください。あなたが守ろうとしている
アイデンティティよりも、きっとあなたの命の方が重いから……・

得られないことよりも、失うことのほうが怖い。

 "10万円" 特別定額給付金の「申請書」が届いた。自治体の中には、職員に、
 この"10万円"を寄付して欲しいと呼びかけているところがあるらしい。
 人間の心理を考えると、それはちょっと辛いのではないだろうか?


 そもそも"10万円" の特別定額給付金は無かった。それが、何の弾みか、
 給付対象者は、基準日(令和2年4月27日)において、住民基本台帳に
 記録されている者ということで、対象者なら誰でももらえるようになった。
 1歳になる直前だった、私の孫ももらえるのだ。


 当初は、新型コロナウイルス等の影響により収入が大きく減少した世帯に
 対して一世帯あたり30万円の現金を給付する、という話だった。
 当然のことながら、収入が大きく減少する可能性が低い自治体の職員は、
 もらえない。しかし、当事者も、当事者ではない人も、この段階では。
 疑問を感じる人はいないわけだ。


 しかし、一旦もらえることになった特別定額給付金を、本人の意思に
 ゆだねるにしても、寄付することを促されたとしたら、もちろん!と
 気持ちよく差し出す人もいるだろうが、私だったら、欲しいという
 気持ちと、他の人はどうするだろうとか、利他的な人ならどうするだろうとか、
 思い悩むに違いない。


 自治体の職員の方にも、いろんな事情があるだろう、先祖代々受け継がれた
 資産があって、何も困っていない人もいるだろうし、決して蕩尽しているわけ
 ではなくても、何らかの事情があって、お金がいくらあっても足らない方も
 いるだろう。自治体の長には、想像力が必要だと思うのは、私だけ?

経済を回す リスク と リターン

 経済が回っていないってどういうことだろう?
 困っている人は、3密(密閉、密集、密接)になってしまいがちな業種……。
 そこに新型コロナウイルスに罹患していた人がいたために、小規模な集団感染に、
 場を提供してしまった業種……。ライブハウス、スポーツジム、接待を伴う飲食店、
 屋形船、そして、病院、介護施設……。今でも、休業を強いられているところも…。


 経済を回すってことは、休業を強いられているようなことを再開すること?
 海外旅行はもちろん、仕事のための出張もままならない、旅客機は空港で
 じっとしている。小規模な集団感染は起こっていないのに、休んでいるモノや
 コトもある。大学、高等学校、中学校、小学校、幼稚園、保育園の一部も
 休んでいる。給食を提供している施設も休んでいる。


 いろんなモノやコトが休んでいるから、使われるはずだった石油を
 貯蔵していられなくなって、お金を出して引き取ってもらっているそうだ。
 野菜の中には出荷されないまま処分されるものもあるらしい。
 高級なお店に出荷するはずだった、高級な食材は行き場を失った。
 給食に出されるはずだった牛乳も余っている。


 経済が回らないってことは、地球や宇宙が人類にくれた様々なプレゼントが、
 お金にならないまま捨てられてしまうということなのかもしれない。
 経済は、地球からの、宇宙からのプレゼントから始まる流れが、
 始まらないまま止まってしまうことなのかもしれない。
 今こそ、人類の知恵が問われている時はない。リスクとリターン。