ブッダに学び、解脱を目指す。

「ディフェンスラインを上げろ!」というタイトルから、「ブッダに学び、解脱を目指す。」というタイトルに変更しました。私の関心が、仕事から人生へと変わったからです。とは言っても、このブログのテーマは、仏教ではありません。自分が幸せになるために、他の人たちにも幸せになっていただくために、釈尊に始まる仏教の智慧、哲学のアプローチ、心理学の知識を学び、活用していきたいと思います。

上機嫌の作法

上機嫌の作法 (角川oneテーマ21)
上機嫌の作法 (角川oneテーマ21)
角川書店

 2010/09/19:仕事ができる人には、上機嫌な人が多いものです。本当にできる人は、テンションが高くて上機嫌、一つずつの動作、話すテンポが速いのです。頭の回転が速い分、コミュニケーションの速度も早くなります。 
 みんなを楽しませよう、喜ばせようという気持ちが非常に強く、そのためには、進んで自分を笑い飛ばそうとするなど、サービス精神が旺盛なのです。 これまで何もなしてこなかったように飄々としている人の方が大人物なのです。 本物のヒーローは、その存在だけで、世の中全体を明るくすることができるのです。


 テレビに出演されている時の齋藤先生は、妙にテンションが高くて上機嫌…私は、その態度が偽物っぽく感じて、あまり好きではなかったのですけれども、この本を改めて読むと、齋藤先生は、アカデミック的?にも、オタク的?にも実践的?にも経験が豊富で、ご自身の説を体系的に示せる方なのだ(博士で教授なのだから当然ですよね)。齋藤先生の本は、他にも持っているので、改めて読んでみたい。


 どんな仕事であれ(仕事であるからこそ)、一人で完結しないわけですから、チームのパフォーマンスを上げるためには、みんなに自信を持って前向きに気持ちよく取り組んでもらうことが大切ですよね。だとしたら、先ず自分が上機嫌でいることが必要です。もちろん無暗にはしゃぐということではなく、率先して、自信を持って前向きに気持ちよく取り組むことです。
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 2015/08/15:2010年に読了した『上機嫌の作法』。テレビの斎藤孝先生は、軽快な?方で、信頼感に乏しい感じがしていましたが、改めて読むと、その直球な表現の中に、伝えたいことが溢れているような気がして、とても愛を感じる内容です。≪不機嫌であることというのは、多くの場合、能力の欠如を覆い隠すためのものです。≫
 この言葉の中に、他人の欲望を欲望し、満たすことができないことに苛立つ人々がひしめく社会で、抑圧されている人が思い浮かびます。斎藤孝先生は、明治大学の教授をされていますが、いじめが蔓延する中学校などにも訪問して欲しいな。


 ≪仕事ができる人には、上機嫌な人が多いものです。≫だとすると私も含めて私の周囲に居る人達は、仕事ができない人なのか?≪不機嫌であることというのは、多くの場合、能力の欠如を覆い隠すためのものです。≫だとしたら私も含めて私の周囲に居る人達は、無能なのか?少なくとも言えることは、不機嫌な人は何を望んでいるのか判らない(本人も自分が何を望んでいるか判っていないように見える)、周囲の人を「どう対応したらよいか」悩ませる存在であることは間違いない。


 「その時の気分に揺れることなく、常に安定した上機嫌の心持を維持継続して物事に対処できれば、世の中から対人関係のトラブルはなくなります。」という言葉と、『嫌われる勇気』の「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」から、対人関係のトラブル(悩み)を解決する方法は「目的・目標の方向を確認しながら、今ここでダンスを楽しむように精一杯生きることによって、上機嫌の心持を維持継続して物事に対処すること。」なのかな?


 ≪教育者の立場として人前に立つからには、、相手にこちらの言うことを聞く気にさせなければならない、そのためには常に上機嫌であることが肝要だと考えたのです。≫ 中学生の時、生徒から信望のない教師は(能力の欠如を覆い隠すためだったのか)不機嫌な人だった。一方、今だったら免職に追込まれそうな体罰を使いながらも生徒に慕われていた教師は、自信に溢れ、上機嫌な人だった。


 この本も、私の感想・レビューを読む限りは、中々よさそうな本ですよね。にも関わらず、何故か、書棚の見えるところにありません。私が(内容を)見失った本を当てられ(振り返るように気付かされ)たような不思議な感じです。
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 2017/12/04:『上機嫌の作法』を読むのは、2010年、2015年に続いて3回目なのですが、毎回自分の成長に伴って新しい発見があるのが嬉しいです。
 今回刺さったのは「自己卑下をするのは、プライドへの過剰な欲求があるからです。認めてもらいたいという欲求があるがゆえに認めてくれないんだったら先に自分から勝負を降りてしまおう、そうすれば負けずに済むという自己弁護の予防線を張っている。」という部分なのですが、自分が不機嫌になってしまう原因の一つは、実は戦わずして負けていることを知っているからなんですよね。もっと素直にならないとね…


 平たく言うと、不機嫌になってしまう理由は、思い通りにならないから、それも、不機嫌だからかも?


 この『上機嫌の作法』を読む前は、妙に上機嫌な齋藤先生を「ちょっと嘘っぽい」って感じていて、好きになれなかったんですよね。自分の方が成長するにつれて、明るさの中に、多くの先人から受け継いだ知恵を持った方だということが分かるようになりました。しばらく斎藤先生の本を再読したいと思います。不機嫌な態度で重みを醸し出そうとしていた私の方が、正に偽物だったのです(-_-;)


 歳を取るに従って、目に見えない(目を逸らしている)不安に押しつぶされ、不機嫌になって行く自分が嫌になってしまいます^^;

人生がときめく片づけの魔法

人生がときめく片づけの魔法
人生がときめく片づけの魔法
サンマーク出版

《片付けのコツは「一気に、短期に、完璧に」。「まずは、『捨てる』を終わらせる」これを正しい手順で行うのです。そうすると、絶対に元の散らかった状態に戻ることはありません。》

 片づけに悩む人をターゲットした本の多くは「先ずは5分だけで良いから掃除をしてみよう!」などとヌルイ?ことが書かれていますが、こんまりさんは、このようなアドバイスを真っ向から否定しています。そして《片づけが出来るようになったら、その先には、考え方や生き方、そして人生が劇的にかわってしまう。というご褒美が待っている》と説いています。

捨てられない原因を突き詰めていくと、じつは二つしかありません。それは「過去に対する執着」と「未来に対する不安」この二つだけです。

 いやあ、痛いところを突いてきますねぇ~私の頭の中は「過去に対する執着」と「未来に対する不安」で破裂しそうなのだと思います。しかしだからこそ「ときめかないもの」を処分して「ときめくもの」だけに囲まれた生活をスタートさせなければ…


 ときめくもの、使っているものだけを手元に残して、ときめかないもの、使っていないものを捨てる。しかも少しずつではなく、一気に…できそうでできないことですけど、思い切ってやってみよう!と、ときめかないモノを少しずつ捨てていますが、モノが増える一方です^^;きっと、古いものから捨てようとするからダメなんだ…新しいものでも、ときめかないものは、捨てよう!でも、本が捨てられないんですよね…。


 片づけって、もしかしたら、自分の人生を見詰め直すことなのだと言っても良いくらいの効果があることなのかもしれませんね。面倒臭い。なんて後回しにしているということは、生きることが面倒臭い。と言っているようなことなのかもしれませんね。


 近藤麻理恵さんが、書かれているように、将来の自分に自信が持てれば、ときめかないものを捨て、過去の自分に決別できるんですよね。ときめかないものを使うものの中心に据えてしまう私は、典型的に、将来の自分に自信を持てない人なのです。


 それでもやっぱり、私は「未来に対する不安」に打ち勝つことができないでいます。まだ若い頃に持っていた全てのレコードを捨てた時のように、衝動的な気持ちにならないと無理みたいです^^;


 次の片づけ関連本といたしましては、カレン キングストンさんの『新 ガラクタ捨てれば自分が見える (小学館文庫)』を手に入れたいと思います。『ガラクタを捨てれば自分が見える』ということは、ガラクタを捨てると、近藤麻理恵さんが『人生がときめく片づけの魔法』で仰っているところの「ときめくもの」だけが残って、その中に、自分が見える。ということですかね(・・?


 片付けの本なので「もの」のことが書かれているわけですが、私は「ときめきを基準に心地よいものに囲まれた生活」という「もの」のところを「人」に置き換えて考えたいと思いました。カミサンと暮らすようになって34年になりますが^^; 出会った頃からのエピソードを思い出すと、一緒に様々な問題を乗り越えて来たことを実感し、あたたかい気持ちになり、ちょっとぐらい散らかっていても良いと思えます。私はカミサンや娘たちに心の中で「今までありがと~!これからもよろしくね」と…

正直に伝える勇気

 私たちは、何か嬉しいことが有った時、照れてしまって、その気持ちを
 正直に伝えられないことが有ると思います。


 面と向かってのコミュニケーションであれば、嬉しいという気持ちが
 表情や態度にでるので、言葉にできなくても伝わるかもしれませんが、
 E-mailだと上手く伝わらなかったり、言葉が拙いとネガティブに
 受け止められてしまう可能性が無いとは言えませんよね。


 ですから、いつも使っている話し言葉なら使わないような、言葉を
 使って気持ちを伝えましょう。


 基本は「ありがとう」ですが、「よかった」「嬉しい」「助かった」
 など、相手に気持ちが伝わる言葉を照れずに使ってみましょう。
 ――
 岸見一郎さんの『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』がヒットしましたけど、
 この『正直に伝える勇気』というタイトルは、私が考えたものです。
 当然のことながら、商標登録していませんので、パクらないでね!
 私より先に思いついた人がいて、もう使っていたら、ごめんなさい。

作家の猫(外伝)突然ですが、クロちゃんの思い出……。

 以前、我が家にも黒猫がいました。2012年7月の末頃、まだ、小さな子ネコで、ようやく自分で餌を食べられるようになったころ、我が家の軒先で雨宿りしているところを、家内が見るに見かねて家の中に入れてしまい、そのまま我が家の猫になってしまいました。キッチンスケールで体重を測ったところ、350gしかないのに、歯が生え揃っていたので、生後5週間ぐらいだったのかも?

 家には、先住猫がいたので、里親を探すことにしました。だから、名前をつけずにいたのですが、だれからともなく、自然にクロちゃんとか呼ぶようになってしまいました。拾われた週末、動物病院につれていったら、クロちゃんには異常が認められず、一緒に連れていった先住猫の方に重篤な異常が認められてしまいました。その日から、先住猫に甘えたいクロと、クロが鬱陶しい先住猫との生活が始まったのです。


 クロちゃんは、家内に拾われる数日前に現れ、庭で鳴いていたようでした。最初のフンは、緑色だったので、飢えに耐えられず草を食べていたのかもしれません。生え揃った歯で子猫用の哺乳びんの乳首を食いちぎり、ウェットフードを食べてお腹をこわしました。
そんなクロちゃんも、やがて2.3kgに成長し、しっかり猫らしくなり、先住猫がいなくなってポッカリ空いた穴を小さな体で奔放に走りまわり埋めてくれようとしていました。


 しかし、我が家にやって来てから凡そ2年半後に当たる2015年の2月、クロちゃんは、突然死んでしまいました。家内によると、クロちゃんは、あまりにも突然に、まるで心筋梗塞のように、倒れたそうです。先生も原因がわからないとのことでした。クロちゃんを可愛がっていた次女は、大学受験の前日で、気持ちを切り替えるのが大変だったようでした。


 すっかり猫好きになってしまった我が家の住人たちは、野良猫を見ると、ついつい招き入れたいという気持ちになってしまうのですが、生き物と飼うということは、とても責任の重いことでもありますし、生きているということは、どのような形になるかわかりませんが、必ず別れが訪れるということでもあります。ある意味、それを運命として受け入れる覚悟が必要だということでもあります。


 しかし、猫を受け入れるということは、すばらしいことです。彼らが懸命に生きている姿からは、とても大きな勇気をもらうことができます。また、その可愛らしい姿や甘えてくるしぐさには、何よりも家族の絆が強める力があります。もし、あなたの身の回りに、野良猫がいたら、勇気を出して招き入れてください。もちろん、猫を飼うための基礎知識を学んでから……。最後に、クロちゃん、短い期間だったけど、幸せをありがとう。

コロナの時代 それだけは何とかして欲しい

 聞くところによると、新型コロナウイルスに感染した患者さんを受け入れている病院の経営が逼迫しているらしい……。良く考えてみれば、そりゃそうだろう。ただでさえ、感染症ではない患者さんよりも気を遣わなければならないのに、重症の患者さんであれば、人工呼吸器やECMO(体外式膜型人工肺)などが必要になり、医師や看護師だけではなく、技師の方の対応も求められるわけだ。


 そのため、一人の患者さんに対して多くの人員が必要になり、多くの患者さんを看ることができない。新型コロナウイルスに感染した患者さんを受け入れていると聞けば、他の病気で通院していた患者さんも、感染すると重症化するリスクが高いので、通院し難くなるだろう。私は、新型コロナウイルスとは、全く関係ない耳鼻咽喉科の受診すら控えている。風邪のような症状で受診する患者さんがいないとは限らないからだ。


 新型コロナウイルスに感染した患者さんを受け入れている病院の経営が逼迫した結果、その病院に勤務する皆さんのボーナスが出ないとか、減額されるとか、そんなことが有っていいはずがない。リスクがある中で懸命に使命を果たそうとしている皆さんの生活は、誰よりも優先的に守られるべきだ。もし、そうならないとしたら、それこそ本当に医療崩壊だ。