ディフェンスラインを上げろ! @ 作業興奮だ!

ディフェンスラインを上げろ!というタイトルですが、このブログのテーマは、サッカーではありません。私がディフェンスラインを上げろ!と言っているのは、個人や組織の能力の底上げを意味しています。天才ならともかく、凡人は、特定の能力を高めるよりも、汎用性の高い能力の底上げが大切です。この考え方は、私たち一人ひとりの人生にも、組織の運営にも、必要な意識をもたらすものだと信じています。

信頼学の教室

 元の信頼が高い人について良い情報と悪い情報があると、元の評価に一致する良い情報のほうが重みを持つので高い信頼が維持されやすい。一方、元の信頼が低い人について良い情報と悪い情報があると。元の評価に一致する悪い情報のほうが重みを持つので低い信頼が維持されやすい。これは「信頼の非対称性」と呼ばれます…改めて言われてみると、そりゃそうですよね。って感じです^^;


 ●×▼は、すべてのお客様に安心・安全な製品をご提供するために品質経営を根幹として、社会から信頼されるモノづくりに努めるとともに、企業倫理を重視したCSR活動を推進することで、企業としての社会的責任を果たしてまいります。などど言っている会社はどこの会社?

信頼学の教室 (講談社現代新書)
信頼学の教室 (講談社現代新書)
講談社


スローライフ 緩急自在のすすめ

「まえがき」の“柄にもなく、気忙しい人生を送ってきたひとりの男(自称「時間貧乏人」)の、いささか反省が籠められた本です。”という自嘲?から始まる本書は月間読書誌「図書」(岩波書店)に2005年1月号から15回にわたり連載された「緩急自在のすすめ」を基にしているそうです。“ますます「ファスト」になる世の中で「スロー」の効用、いちばんのカギは「緩急自在」の「自在」の部分にあります。自れが在る―自分が緩急のペースを選び取るということでしょう。”と締めています。


筑紫哲也さんが推奨する『スローライフ』とは、自主的に生きることです。自主的に生きることは、他者の価値観に影響されず、自分の行動原則に従って幸せになることです。

スローライフ―緩急自在のすすめ (岩波新書)
スローライフ―緩急自在のすすめ (岩波新書)
岩波書店


御朱印帖は、開いてね(^^♪

 奈良の興福寺から始まった私の御朱印集めも、幾つかの社寺に参拝しているうちに、長く続いている社寺には、継承する人々に触れなければ得られない何かがあると思うようになりました。神仏を敬う気持ちはもちろん、人々への共感が生まれてきたのでしょうね。


 御朱印ガールという言葉はあるが、御朱印オジサンという言葉はなさそうなので、軽はずみに収集するのは、恥ずかしいことなのかもしれないけど、集めているうちに、解ることもある。


 御朱印をいただく前に、お参りを…
 御朱印帖は、開いてお渡しする…
 初穂料(御布施)は、お釣りの無いように…

決定版 御朱印入門
決定版 御朱印入門
淡交社




そうだ、高野山がある。

 10/2:奈良の、室生寺、長谷寺に始まって、10/3:高野山の明王院、奥之院、金剛峯寺と弘法大師・空海のにゆかりのある地に触れた後、関東に帰って来た私は、10/8:布施弁天(東海寺)に続いて、10/13:高野山東京別院に参拝しました。
 10/13:BOOKOFF 秋葉原駅前店で『高野山』『そうだ、高野山がある。』を手に入れた私は、予め、勉強しておけば良かったなぁ~と思うのでした。

高野山 (岩波新書)
高野山 (岩波新書)
岩波書店
そうだ、高野山がある。
そうだ、高野山がある。
アドレナライズ
2017-01-26
Kindle本


密教の聖地高野山 その地に眠る偉人たち

虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願も尽きん
高野山は、9世紀の初め、弘法大使こと空海が創った、
空海は、真言密教の教えを若いころから学び、中国で自らの教義として発展させた。

密教の聖地 高野山 (サンエイ新書)
密教の聖地 高野山 (サンエイ新書)
三栄書房
2018-01-06

空海は、高野山を真言密の教え広める理想郷とにしようとしたのである。
それ以来、1200年間、高野山は絶対的な「聖地」として安泰を保ってきたわけではない。日本の歴史は闘争の歴史と言っても過言ではないが、高野山も大小さまざまな争乱に巻き込まれ、一時は滅亡の危機に瀕したり、戦争によって全山が危うく焦土と化す状況に追い込まれたこともあった。


 弘仁7年(816)、空海は修禅の道場として高野山の下賜を嵯峨天皇に請い、許しを得た。開創から15年間、空海は悩み苦しむ者に救いの手を差しのべようと精力的に活動した。高野山はもちろん、同じく嵯峨天皇から与えられた平安京の東寺を拠点として全国に教えを広めていったのである。


 空海は、天長8年(831)頃から体調を崩し「私の願いは世界宇宙がなくなるまで、そこに住む生命がなくなるまで、そして人間が全て悟りに到達するまで終わらない」という意の言葉を残した後、一切の穀物を立ち隠棲。そして承和2年(835)、入定した。