ブッダに学び、解脱を目指す。

「ディフェンスラインを上げろ!」というタイトルから、「ブッダに学び、解脱を目指す。」というタイトルに変更しました。私の関心が、仕事から人生へと変わったからです。とは言っても、このブログのテーマは、仏教ではありません。自分が幸せになるために、他の人たちにも幸せになっていただくために、釈尊に始まる仏教の智慧、哲学のアプローチ、心理学の知識を学び、活用していきたいと思います。

バカの壁 ~ 超バカの壁 ~ 死の壁

バカの壁 (新潮新書)
バカの壁 (新潮新書)
新潮社
Digital Ebook Purchas

 教育というものは本来、自分自身が生きていることに夢を持っている教師じゃないと出来ないはず。突き詰めて言えば、「おまえたち、俺を見習え」という 話なのですから。 要するに、 自分を真似ろを言っているわけです。


 2014年8月23日(土)、一人暮らしを始めた長女が使っていた部屋を片付けていたら、私の『バカの壁』が見つかった。前から『超バカの壁』や『死の壁』などはあるのに、何故『バカの壁』だけないのだろう?と疑問に思っていたのだが、長女に拉致監禁されていたようだ。発見したことを切欠に、蛍光ペンで印をつけたところを再読し、書評を補強してみたいと思う。


 養老孟司さんの言葉で一番好きなのは「崖を一歩登って見晴らしを少しでもよくする、知ることによって世界の見方が変わる。」という件だ。崖を一歩登るというのは、今まで知らなかった知識を手に入れるということだ。そうすると、今まで持っていた知識で理解していた現象が、全く違って見えるようになる。それが見晴らしを少しでもよくする、知ることによって世界の見方が変わる。ということだ。


 崖を一歩登れば、それだけ遠くが見えるようになる。登るのは容易ではないけれども、身体を動かさないと見えない風景は確実にあるのだ。


超バカの壁 (新潮新書 (149))
超バカの壁 (新潮新書 (149))
新潮社

・自分に戻ってくるような仕事をするべきです。戻ってくるというのは学べるということです。

 仕事というのは、社会に空いた穴です。道に穴が空いていた。そのまま放っておくとみんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。ともかく目も前の穴を埋める。それが仕事というものであって、自分に合った穴が空いているはずなんて、ふざけたことを考えるんじゃない、と言いたくなります。仕事は自分に合っていなくて当たり前です。

 この本は、最後の12章「本気の問題」が素晴らしいです。この章で、養老孟司さんは、仕事に対する考え方を話されています。私たちに指針を与えてくれるのは、「自分に戻ってくるような仕事をするべきです。戻ってくるというのは学べるということです。」という言葉でしょうか。


 どんな仕事の中にも学びはあります。どんな仕事からも学ぼうとする人が、責任を持って仕事ができる人、仕事を通じて成長ができる人、人や組織の役に立つ成果が出せる人になれるのです。


死の壁(新潮新書)
死の壁(新潮新書)
新潮社
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・一瞬一瞬を精一杯楽しんで生きた方が良い。


『バカの壁』の感想では、「人生の問題に正解はない。その答えを求める行為それ自体に意味がある」と書きましたが、改めて考えると、マイケル・サンデル教授の決め台詞でした。

 実は毎日が取り返しがつかない日なのです。今日という日は明日には無くなるのだから。人生の行為は取り返しがつかない。死ほどそのことを歴然と示しているものはない。人は、何時か死ぬ。時間はとても貴重ですが、私たちは、その貴重な時間を、当たり前のように吸っている空気のように、無尽蔵にあるものかのごとく浪費している。その貴重な時間を、どのように過ごしたら有効なのかは、誰にもわからないが、一瞬一瞬を精一杯楽しんで生きた方が良い。

 私たちの多くは、最も長い時間を仕事のために費やしています。だとしたら、一瞬一瞬を精一杯楽しん生きるということは、仕事を精一杯楽しむということです。仕事が上手く行っていれば、少しは楽しめるはずです。やはり、先手必勝ですね。

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