ブッダに学び、解脱を目指す。

「ディフェンスラインを上げろ!」というタイトルから、「ブッダに学び、解脱を目指す。」というタイトルに変更しました。私の関心が、仕事から人生へと変わったからです。とは言っても、このブログのテーマは、仏教ではありません。自分が幸せになるために、他の人たちにも幸せになっていただくために、釈尊に始まる仏教の智慧、哲学のアプローチ、心理学の知識を学び、活用していきたいと思います。

座右の諭吉 才能より決断

座右の諭吉 才能より決断 (光文社新書)
座右の諭吉 才能より決断 (光文社新書)
光文社

・他者から何かを期待される人間は、知識や教養といった蜜壺をため込んでいる人なのだ。ミツバチが花の蜜を巣にためるイメージだ。その花にあたるのが本だ。たくさんの花の間を飛び回るほど、蜜壺は大きくなる。

『福翁自伝』には、福沢の人生訓や、転機からチャンスをつかんだときのエピソード、いわゆる「生きる指針」が詰まっている。本書ではその『福翁自伝』をはじめ、彼のいくつかの著書をテキストとして、私たちがいま福沢の生き方から何を学べるかをクリアにしていく。

 齋藤さんは、こう分析する。やろうと思ったことはすぐに行動に移す。その積極的な決断が、福沢を常に勝ち組にいさせたのだ。また、福沢は、実際にどうかつようするかという観点を持って臨まなければ学問も意味がないと、学び続けていることを自らのよりどころにしていたと。

 何が福沢の「自分は自分だ」というアイデンティティを支えていたのか。ずばり“学び続けている自分への自負”である。多くを学び続けることで、他に寄りかからない個としての人格を保つ。それは本当の独立なのだという揺るぎない信念が、実に福沢らしい。福沢は、学び続けていることを自らのよりどころにしていた。

 社会人になってからの人間関係は、人から期待されないと増えて行かない。人に強く求められる人間ほど、人間関係が広がっていく。自分が必要とされている人間になることが社会人としての人間関係のポイントとなる。

 他者から何かを期待される人間、要求される人間というには、大いなる知識や教養といった蜜壺をたっぷりため込んでいる人なのだ。見識がある。知識がある。それは十分、人格的な魅力になる。ミツバチがいろんな花に蜜を取りに行っては戻ってきて巣にためるイメージを考えて欲しい。

 その花にあたるのが本だ。何百何千とたくさんの花の間を飛び回るほど、蜜壺は大きくなる。

×

非ログインユーザーとして返信する