ブッダに学び、解脱を目指す。

「ディフェンスラインを上げろ!」というタイトルから、「ブッダに学び、解脱を目指す。」というタイトルに変更しました。私の関心が、仕事から人生へと変わったからです。とは言っても、このブログのテーマは、仏教ではありません。自分が幸せになるために、他の人たちにも幸せになっていただくために、釈尊に始まる仏教の智慧、哲学のアプローチ、心理学の知識を学び、活用していきたいと思います。

自信―――心を強くするのは、それほど難しくない

自信―――心を強くするのは、それほど難しくない (知的生きかた文庫)
自信―――心を強くするのは、それほど難しくない (知的生きかた文庫)
三笠書房 加藤 諦三
Digital Ebook Purchas

 うつ病の病前性格者は、「何をすべき」という規範意識が過剰なわりには優柔不断である。それは、本来の自分の願望を抑圧したうえで、いかに生きるかということを探求するから、わからなくなるのである。

 自分に関する事実を発見することを通じて、はじめて自分はどうすべきかわかるようになるのである。 ありのままの自分を探求しようとしていれば、その結果として、どう生きるべきかがわかるのである。 抑圧や防衛がなくなることによって、人は創造的になる。だから、本来の性格で生きている人は、一人一人創造的なのである。

 自信を得たければ、自分の今までの人間関係を変えることである。自信のある人々にかこまれている人は、自信をもてるように振舞うことを学ぶ。自分の心のトラブルは、自分が情緒的に成長することによってしか解決できない。

 自信を得たければ、あなたをおだてて操作したり利用したりするような人々との関係を断ち、あなたと協力して目標を達成しようとするような人々と関係を結ぼう。誰かにとって「いい人」でいようとする限り、あなたに自信は訪れない。いつまでたっても認めてもらえないまま、歳を重ねるだけになってしまう。

 私たちにとって大切なのは「本当の自分が立派になること」であって「本当の自分の感じ方を偽って立派なことを述べること」でなない。本当の自分を立派にしようとするエネルギーは、本当の感じ方を自分も認め、それを述べることができるところから生まれる。

 利己的な考えから自分を実際以上に良く見せようとしても長続きしないし、肝心な人間としての成長を妨げる。実際の自分をさらけ出すことは、短期的には不利益になるかもしれないが、長期的には成長を促し、自分が存続するために必要な利益が得られる。

 他者に気に入られようとして心が迎合的になると、容易に他者に操作されてしまう。そして、操作されることで、その人はより自信を失うのである。

 学生であれば友だちに、社会人であれば上司に「嫌われれば自分がいる場所がなくなるのではないか」という不安から、必要以上に気に入られようと迎合的になることがあるのではないだろうか? 好きでもないことにつき合い、楽しくもないのに愛想笑いを浮かべる、そして相手から操作されることで、自分が最優先しなければならないことが疎かになり、自分にとって最も大切な自信を失うのだ。


 最初に読んだ時は、「自信がないのは、加藤諦三先生の方なんじゃないの?」なんて失礼なことを思ったのですが、「良薬は口に苦し」ではないですけれども、次々に繰り出される「自信」の持てない人の特徴が、あまりにも自分に当てはまったので、嫌悪感を持ち反発してしまったのかもしれません。


 『自信』なんてタイトルを読む人は、心理学を研究している学生ではなく、「自信」が持てなくて苦しんでいる人だと思うのですが、先生の言葉は、あまりにもストレートなので、当時の私は、おそらく心がずたずたになってしまったのだと思います。


 しかし、改めて読むと、この本は「自信」がある人と、ない人を比較しながら書かれており、客観的に読むことさえできれば、なぜ「自信」が持てないのか、自分の気持ちが原因で陥ってしまっている状況を推察することができます。「自信」を持つための方法は(難しいことではすが)人に気に入られようとする卑屈な態度から脱却し、自分自身で人生を切り開くことを決意することでなのです。

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