ブッダに学び、解脱を目指す。

「ディフェンスラインを上げろ!」というタイトルから、「ブッダに学び、解脱を目指す。」というタイトルに変更しました。私の関心が、仕事から人生へと変わったからです。とは言っても、このブログのテーマは、仏教ではありません。自分が幸せになるために、他の人たちにも幸せになっていただくために、釈尊に始まる仏教の智慧、哲学のアプローチ、心理学の知識を学び、活用していきたいと思います。

禅僧が教える 心がラクになる生き方(その2)

禅僧が教える 心がラクになる生き方
禅僧が教える 心がラクになる生き方
アスコム

 何よりも、家族に恵まれるということが、いかに幸せなことなのか、噛みしめている毎日です。なぜならば、そこには自分以外の誰かのために、自分の時間を使うという行為が自然に行える仕組みがあるからです。孫のため、それは娘のため、そして妻のため、家族が少しでも安心して暮らせる方向へ、ほんの少しでも舵を当てる、それができる自分であることが「ありがとう」と言われる前から、ありがたい。


 相手に対して「余力を持っているのに役割を果たしていない」と思ってしまったり、「対価を払っているのに妥当なサービスが受けられない」と感じてしまったりするから不満になります。相手だって人間です。常にベストな応対が出来るわけではありません。自分以外の人にも何かを求められていて、そちらの優先順位が高いのかもしれません。誰にでも足らないところがある。それを自分が歩み寄って補えば、お互いに気持ちが良くなるかもしれないと考えて、先ずは自分から行動することが大切です。


 人生は苦だ!と言われても、多くの若い人は、ピンとこないかもしれませんが、私のように還暦を迎えるころになると、老病死がリアリティをおびてきますので、どんな心構えで生きてゆけば、苦に正しく向かい合うことができるのだろうと、嫌でも考えるようになります。


 自分の人生をどう生きるか、どう生きたとしても、それを認識することができるのは、自分の意識だけです。だとしたら、結局は、自己満足にすぎないわけですから、自己効力感が最大になるように、生きたら良いのではないだろうか?と思いました。


 意識しているか、意識していないかに関わらず、誰もが心の中の空いた空っぽの空間に(空が3つ連なってしまいました)、詰め込むものを探して彷徨っているのではないかと思います。そして、その渇望が強い人ほど、自分が所属するコミュニティーを混乱させるような行動をしてしまいがちなのではないでしょうか?なぜならば、空間に詰め込むものは、自分で生み出すしかないのに、それを他者に求めてしまうから…

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