ディフェンスラインを上げろ! @ 作業興奮だ!

ディフェンスラインを上げろ!というタイトルですが、このブログのテーマは、サッカーではありません。私がディフェンスラインを上げろ!と言っているのは、個人や組織の能力の底上げを意味しています。天才ならともかく、凡人は、特定の能力を高めるよりも、汎用性の高い能力の底上げが大切です。この考え方は、私たち一人ひとりの人生にも、組織の運営にも、必要な意識をもたらすものだと信じています。

自由とは、気持ちよく過ごせる時間の最大化

自由のこれから (ベスト新書)
自由のこれから (ベスト新書)
ベストセラーズ

 『私とは何か――「個人」から「分人」へ』を読んだ時にも感じたことですが、改めて平野さんは凄い人だと思いました。私の感想は「この人、本当に小説家なの?人文科学系の学者かと思った。」というものでした。私が中々腑に落とすことができないでいた構造主義についての疑問に「分人」という言葉でヒントを与えてくれました。


 『私とは何か』は、私の人生の軌道を修正してくれた本の一つに入れたいほど良かったのですが、この『自由のこれから』も、現代社会を一刀両断にする中々切れ味のよい刀のような本です。著名な社会学者たちも、同じようなことを言っているのかもしれませんが、それを、私のような勉強不足のオジサンにも、分かりやすい事例(ある意味、如実に現象が現れている分野なのかもしれませんが…)で示してくれています。


 技術の発達は、選択肢は少なかったけど、選択は自由だった時代から、選択肢は無数にあるけど、損得で考えるとレコメンドに逆らえず、選択が制限される時代への変遷なのでしょうか(・・? 行きたい国、見たい映画、読みたい本、私たちは、自由に選択できるはずなんですけど、それを楽しむ時間は十分じゃないという不自由さを感じる時代を生きているのかもしれませんね。


 自分の意思で自由に選んでいるような気になっていても、ネットのレコメンドによって選ばさているとしたら、それは、人と同じようにしたいという欲求に駆られている、というよりも、損をしたくない、賢い選択をしたい、という恐れが動機かもしれませんね。


 経済成長に伴って比較的自由になったかのように見えた私たちの生活ですが、経済成長に限界が見えるようになったことによって、生きるための選択肢が狭まるような状況になっているのでしょうね。


 私たちは、レコメンド機能の助けを借りて買い物をするようになる前から、ジャックラカンが指摘していたように、他者の欲望を欲望し続けてきたのではないだろうか。ただそのような傾向が、情報化社会になって更に加速していることは間違いない。構造主義の心理学者、哲学者、思想家たちの先見の明は、恐るべきものです。


 この『自由のこれから』では、人類が一度は獲得したかのように見えた自由が、新自由主義の元、レコメンドという"仮想的な自由”によって束縛を強めているのではないか?という新たな問いを生む機会を作ってくれました。この本の中で、特に好きなのは、慶大法学部教授である大屋雄裕さんとの対談では、教授の見解「満足」を引き出しています。


 大屋雄裕さんが、ご自身の幸福感を「満足~自分が決めたという意識が必要だろうし、自分で考えて決めてそれが充足できたか、できなかったけど、俺はやるだけのことをやったとできる納得できることが重要です。」仰っているところです。私は、どのような内容の本であろうとも(たとえ小説であっても)、著者が問わずにはいられない問いと、その問いに対する自身で導き出した答えが醸し出されないと価値が低いと思います。


 首相や大統領、大企業の代表じゃなくたって、中小企業の社長、お父さんだって、自分が率いるコミュニティの隅々まで把握することは難しいし、集団の総意をまとめるのは大変ですよね。ある意味、個々の「全体最適を目指そうとする善や徳」に任せなければならないわけです。でも、みんな自分が可愛くて、システムにコッソリ無意識を埋め込むんですよね。


 平野啓一郎さんは、「社会のあらゆる分野で、テクノロジーの進歩の速さに、人文科学系・社会科学系の議論がまった追いつかなくなっている」「自分の70~80年の人生をどう設計していくかを考えようにも、変数が多すぎて、なかなか考えがまとまらない」「一生をかけて全うする一つの職業が"本当の自分"を象徴するという自己実現モデルから、自身のアイデンティティを、複数の仕事(収入源)といった多数の関係性の集合として捉え直さなけれなならない」といいます。


 平野啓一郎さんは、はじめにで、「分人主義の視点からは、人間の自由とは、自分の分人の構成とその比率をコントロールし得ることだと言えるだろう。」としていますが、対人関係以外も視野に言えると、自由とは、やはり「自分が楽しく気持ちよく過ごせる時間の最大化」ということが言えるのではないでしょうか?もちろん、気持ちよく過ごすためには、他者との関係を良好に保つことによって得られる承認が欠かせない要素になると思います。


 幸せとはどのような状態なのだろうと考えた時、私が出した一つの答えは、自分の意思で自分の行動を選択できること、つまり「自由」ということでした。私は「自由」を獲得するために、賢明に生きていきたいと思ったわけですが、「自由」を獲得するためには、一旦「不自由」な状態に甘んじなければならないことが多い、とも感じています。一体どうしたら…


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