ディフェンスラインを上げろ! @ 作業興奮だ!

ディフェンスラインを上げろ!というタイトルですが、このブログのテーマは、サッカーではありません。私がディフェンスラインを上げろ!と言っているのは、個人や組織の能力の底上げを意味しています。天才ならともかく、凡人は、特定の能力を高めるよりも、汎用性の高い能力の底上げが大切です。この考え方は、私たち一人ひとりの人生にも、組織の運営にも、必要な意識をもたらすものだと信じています。

 幸せになる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII
幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII
ダイヤモンド社

 読み進めるに従って「哲人の言葉に自尊心を抉られ、罵声を浴びせることで応戦しようとする青年の姿が、徐々に自分自身と重なってくる」という苦しさを感じました。20代だった頃、岸田秀さんと伊丹十三さんの対談『哺育器の中の大人』を読んだときにも感じたような、真の自分を客観的に見ることの辛さです。それは、嫌われる勇気よりも勇気のいることです。しかし、そのプロセスを経ず、自分を信頼できるようになることはありませんし、自分を信頼できない者は、他者を信頼して「私たち」を主語に愛の課題に踏み出すことも出来ないのです。


 この本を読むと、否が応でも、58歳にもなった自分の中に、まだ自立しきれていない幼児が隠れている(たぶん他の人からは丸見え@_@;)ことを思い知らされます。表面的には自分より恵まれているように見える人に嫉妬し、持っている宝物の輝きに気がつかない自分がいます。先ず、その宝物の汚れを拭わないと…


 些細な部分を指摘する方もいますが、この本が与えてくれる果実を得るためには、この本を道具として使い、真の自分と対峙することが必要なのだと思いますので、価値を感じられた人は、『真の自分と対峙する勇気』を持てた人、些細な部分が気になった人は、『真の自分と対峙する勇気』を持てなかった人なのではないでしょうか?


 久しぶりにスティーブン・R・コヴィー博士の『7つの習慣』を手に取ったら、岸見一郎先生が紹介してくださっている『アドラー心理学』と同じことが書いてありました。7つの習慣のインサイド・アウト(内から外へ)という考え方は、まさに、自分から始めるという考え方と一致していますものね。


 幸せになるためには、相手を信じ、私たちを主語に語れるようになる必要があります。相手を信じるということは、とりもなおさず、自分自身の誠を信じることです。いきなり相手を信じることは、とても怖いけど、先ず自分自身の誠を信じるということであれば、とても重くて痛いかもしれないし、楽になることとはまた違うかもしれないけれども、手の届く範囲にあることなのかもしれません。私にも掴めそうです。


 学級の主権は、生徒たちという国民にある、という定義には、説得力がありました。学級は、様々な環境で育ち、価値観の異なる子供たちが集まっているので、彼らの自立を支援する役割を担わなければならない教師という仕事は、本当に難しいでしょうね。きっと、叱ったり褒めたりすることで、独裁者のように振舞う方法では、個々の生徒を短期的に導くことはできても、学級を継続的に導くことはできないのかもしれませんね。


 岸見先生が仰るように、教師が生徒を叱ったり褒めたりするときは、「少なからず生徒の行動を自分の支配下に置きたい」という気持ちがあるのではないかと思います。言い方を変えると、「私の価値観に照し合せると、君の行動は〇〇である。」と評価し、その価値観を押し付けようとしているわけです。岸見先生が仰っているのは、「自分の価値観を押し付けるのではなく、相手の価値観に寄り添い、自分の価値観と照らし合わせて、お互いに共感できる点を見つけて行きなさい。」ということだと捉えています。



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